画像は三菱重工長崎造船所が建造した客船として最後となった、「アイーダ・ペルラ」です。三菱にとって造船は祖業ですが、近代都市としての長崎市にとってもまた、造船は祖業と言えます。しかし、ここ数年造船を取り巻く状況は思わしくありません。「巨額損失に客船建造事業より撤退」「工場跡地の再利用」など、悪いニュースばかりが聞こえてきます。
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アイーダ・ペルラが停泊しているのは、三菱重工の香焼工場岸壁です。昔、島であった香焼地区は明治時代から松尾造船が進出し、その後川南造船、三菱と、大手造船会社が操業を続けてきました。画像の左端に見えるクレーンは、対岸の毛井首、深堀地区にある中小の造船所のものです。
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その深堀地区にあって、三菱に次ぐ中堅造船所として操業を行っていたのが、林兼造船長崎工場(1965~1980)です。
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出展:「長崎県の産業」1967年

深堀という街は、一歩中に踏み入れた時から、なんだか懐かしい風情が漂う街です。昭和の時代に多くの人が集まり、賑やかさが溢れていた面影が残っているからなのでしょう。

林兼(はやしかね)と言えば、円に「は」の大洋漁業、大洋ホエールズですが、林兼造船は兄弟会社にあたります。そのこともあって、捕鯨船などの漁船を多く建造しています。
造船不況による撤退後、現在、林兼造船の敷地は福岡造船と三菱長崎機工の工場となっています。
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古い門柱がセメントで塗りつぶされていましたが、もしかするとこれが林兼造船時代の門なのでしょうか?今となっては知る術もありません。市内の図書館でも林兼造船関係の資料は見つけることが出来ませんでした。
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工場の前の通りを歩いてみましたが、川南造船時代から続く「造船の街」の雰囲気はわずかながら残っていました。
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職人さんには欠かせない時計・眼鏡屋さん。
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今も利用する工員さんが多いであろう、民宿。
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林兼時代からのつながりがあるハヤシカネエネルギー株式会社。
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その上には深堀北団地が見えます。
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かつて、好景気の時代には人で溢れていたであろう通りも、今ではすっかり寂しく見えます・・・・
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長崎に生まれ育って、「造船の灯」が消えていくなんてことは、想像すら出来ないことでした。夜になると工場に灯りがともり、150トンカンチレバークレーンも現役で動き・・・それが長崎港の当たり前の風景なのですが。
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そして、多くの人が額に汗して働き、ひとつひとつのささやかな暮らしが寄り添った街。そんな長崎の街がことさらに懐かしく思い出されます。
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出展:「長崎県の産業」1967年