「子どもの不登校」・・・・ 親(保護者)にとって、この言葉は大変に重く、苦しい響きを持つものでしょう。


今朝、仕事先の近くで、路上に立ちすくむ小学1年生(黄色い通学帽とランドセルカバーでそれとわかります)の男の子と父親らしき人物を見かけました。何となく気になり、少し離れた場所に車を停め、しばらく様子をうかがっていたのですが、どうやら登校を嫌がる子どもと何とか行かせようとする父親であることがすぐにわかりました。

父親は険しい表情で何かを子どもにまくしたてたり、或いは手を引っ張ったりしますが、男の子は数歩歩いては立ち止まる、といった具合で、親子の置かれた状況が、かなり厳しいことは明らかでした。

実は長崎の街であちらこちら仕事をしていると、このような姿に出くわすことは、そう稀な事ではありません。少子高齢化が叫ばれ、自治体の存続さえ危ういと言われ続けているこの時代においてであるにもかかわらずです。

この父親にとって、ほんの数ヶ月前には、真新しいランドセルを背負って期待に胸弾ませていた男の子と、それを笑顔で見つめて自分の姿というものは、まるで「幻」のようであったと感じられるに違いありません・・・。


(*画像はイメージであり、内容とは一切関係ありません)

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「不登校」、その始まりはある日突然やって来たかのように思え、何が直接的な原因なのか判らず、どこに責任を求めても解決策は見出せず、何を手がかりに進んでいけば出口に近づくのかさえはっきりしません。

そもそも時が経てばよい方向へ向かうという何の保証すらなく、毎日続く心痛にいつまで耐えなければならないのかという恐怖にさいなまれることになります。

その間、他の元気そうな子ども達と比べて、家の中でひっそりと過ごす我が子の姿を見なければならないことは、「断腸の思い」そのものでしょう。


自分の教師時代を振り返っても、担任するクラスに不登校の生徒がいたことは本当に辛いことでした。

「今日こそは全員そろうかも」と期待しつつ、教室に入ると、やはりポツンとひとつ空いている机。・・・・何かしら楽しい事をしていても、その空いた机のことが頭から離れることはありませんでした。


(*画像はイメージであり、内容とは一切関係ありません)

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ひと口に「不登校」と言っても、それぞれの置かれた環境や状況があまりにも様々であるはずですので、標題のように「子どもの不登校を克服する為に」なんてことは軽々しく述べられません。

しかし、このブログが「長崎の歴史や文化」を紹介したりする目的のひとつは、長崎で生活する子どもの未来を明るいものにしたいというものです。その思いは、もちろん長崎に限らず、全ての子ども達に対しても同じです。


したがってあくまで個人の感想の域を出ませんが、私自身が「不登校の問題を考える時、そして「子どもにかかわる際の保護者としての姿勢」を考える時に、大変大きなヒントを与えてくれると感じた、一冊の本を紹介したいと思います。

林 礼子著 「母さん、早く学校に行きたいよう!」(講談社出版サービスセンター)です。

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あくまでひとつの考え方、指針なので最終的には実際に読んで貰って判断していただくしかないわけですが、「何でもよいからとにかく考えるための材料が欲しい、とにかくどうしかしたい」と感じられている方には、大変参考になる書だと思います。


ここでは、その中の『第八章 素直な子どもにする 「母親の法律」』 を紹介します。

「法律」と言うと、いささか大袈裟ですが、ここでは母親に限らず、「保護者としての自分を照らしてみる視点」として読まれてみたらいいのではないかと思います。


第1条 「命令・指示はしない」 

第2条 「脅迫・注意はしない」 

第3条 「説教はしない」

第4条 「提案・忠告はしない」 

第5条 「尋問・質問はしない」

第6条 「勝手な想像はしない」

第7条 「反対は言わない」

第8条 「不足・不満は言わない」

第9条 「子どもには謝らない」

第10条 「子どもはほめない」

第11条 「子どもは叱らない」

第12条 「言い訳はしない」

第13条 「先さきものを言わない」

第14条 「子どもの機嫌をとらない」

第15条 「子どもの好みをきかない」

第16条 「子どもの評価をしない」

第17条 「見たらわかることを言わない」

第18条 「母親側の事情は言わない」

第19条 「すねる子をつくるな すねたらなだめるな」

第20条 「何でも母親に聞いてくる子をつくらない」

第21条 「親はうそをつかない」


・・・・とここまで読むと、「じゃあ、親としても何もできないじゃないか!」と思われるかもしれません。或いは、「今まで子どものために良かれと思ってしてきたことが、全否定じゃないか!」とも。そう思われても当然です。

しかし、そのひとつひとつの説明を読むと、「なるほどな」と思うところがかなりあります。少なくとも、自分自身はこれまでを振り返って、反省を促される点が多々ありました。

もっとも重要なことは、不登校に至る原因が、「本人や学校などの人的環境にあるのでは?」という考え方から、「自分自身の子どもに対する姿勢や行いにこそ、その原因があるのでは?」という全く逆の視点に立って考えることができるようになる事です。
従って、「自分自身には、そのような原因は一切ない!」と譲らない方にとっては、この書は約にたたないでしょう。

昔はなぜ、今よりも不登校が少なかったかというと、それは1~21条に照らしてみると、経済的に余裕がなく、家族の数も割合に多かったので、無意識的にクリアーできていた点が多かったということなのではないでしょうか。

今は、子どもの数が極端に減り、地域の結びつきも弱く、子どもを持つ家庭が孤立無援となるケースが増えました。おまけに子どもを狙った凶悪犯罪もメディアで報道される機会が増えたことから、自分の子どもに関して、必要以上に神経質となってしまっていることが、不登校の大きな原因となってしまっているとも言えなくないと思います。


(*画像はイメージであり、内容とは一切関係ありません)

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きっかけとなる原因がクラスの人間関係であることも少なくないでしょう。しかし、社会人になっても、自分とは合わないと感じる人やいろいろな人と関わっていかなければなりません。そのことはわかっていても、それをどう子どもに伝え、その力を身につけさせるかは、非常に難しい問題です。


また原因が複数で、はっきりとしない場合には、どうしていいかすら判らなくなってしまいます・・・。
「どこかの専門機関に相談し、状況を打破したい」

「身体的なことが原因かもしれないので、いい薬などがあったら呑ませたい」

「学校やクラスが嫌といっているのだから、無理に行かせることは無い、フリースクールやその他の施設で学校の代替を探したい」等、思いは様々でしょう。

かつて私は古のルソー、そしてモンテソーリやデューイの実存主義教育から故・宮城教育大学長 林 竹二氏の教育学を学び、フリースクールを創ろうとする市民団体と共に活動をしてきました。今もその考え方については一点の揺るぎもありません。(現・政権でもやっと積極的にフリースクールなどの教育機関を興そうという方針が打ち出されました。)

しかしその視点は「教育者」としてのものであって、保護者(親)としてはまた別の学びをしなければいけないのではないかと考えています。現時点で最も参考になると考えるのが、林 礼子著の「「母さん、早く学校に行きたいよう!」です。


わが子の不登校に悩む方は母親であれ、父親であれ、心から子どものことを思い、向き合っている方だと思います。そして私自身も人心と体の成長にもっとも大切であるのは、「ものごころついた頃より小学生中学年あたりまで、いかに接してやるか」ではないかと考えています。

様々な場面の中で、どういう言葉や表情、態度を子どもに示し、落としていけばいいのか、それこそ教育学のもう一つの大きな「学問」であるとも思います。


子どもの屈託ない笑顔と友だちと元気よく遊ぶ姿を見たいと思っておられる方、険しくともその道を拓こうと思われている方であれば、同著は何らかのヒントを与えてくれるものと信じています。


すべての子どもが恐怖や苦しみから解放され、笑顔が戻ってくることを願いつつ・・・・・


(*画像はイメージであり、内容とは一切関係ありません)

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