昭和39年1月29日に閉山してから、約半世紀が経つ鹿町町の日鉄鹿町炭鉱跡。かつては、北松浦郡吉井町の御橋(おはし)鉱、小佐々町の矢岳鉱、佐々町の神田(こうだ)鉱、そして鹿町町の鹿町鉱の4鉱を統括する日鉄鉱業・北松鉱業所が置かれた場所です。

昭和31年に公開された東映初の総天然色怪獣映画「空の大怪獣ラドン」では、鉱山より怪獣が誕生するという設定で、映画ロケも行われました。

多くの労働力として、多くの人口を抱え賑わったであろうこの場所を、当時の面影を探しながら歩いてみました。

まずは、見当を付けるために、当時の配置図と現在の航空写真を比較してみます。
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ほとんどの炭鉱は資料が乏しいか何も残っていないのですが、鹿町鉱の場合は地質図に坑口の位置や送炭線の位置まで記載してあるるのでおおよその見当がつきます。
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上図からも大きな炭鉱(街)であったことがわかります。下の町誌に出ていたような鉱業所の片鱗は、どれくらい残っているのでしょうか?
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今回はいずれも画像が悪いのですが、「空の大怪獣ラドン」からのキャプチャーと町誌からの画像と対比してご紹介したいと思います。
その①では鉱業所内をご紹介します。
「ラドン」ではこんな感じで出てきます。運炭線が張り巡らされていることがわかります。
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そしてこれも昭和30年当時の鉱業所を撮影したカットです。掘り出した石炭を製品にならない土砂・岩石と選別していく選炭施設であると思われます。
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町誌では中央付近の赤い屋根の建物を違うアングルから撮影していますね
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それはこの辺りにあったと思われます。(山の稜線が一致します)
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もちろん閉山後、ほとんどの建物は失われているのですが、中央に見えるコンクリート壁は上からみると円形をしている「シックナー」という石炭の遠心分離機です。
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衛星画像からも、このシックナーは確認できます。これだけきちんとした形で残っているシックナーは、県内では他にあまり無いように思います。

大きな地図で見る

次は坑口を探します。地図上では「」と表されるので、送炭線の伸びた先にある「」マークの場所を目指します。地図上では2ヶ所のマークがあるようです。
「ラドン」では坑口の中からボタ山を見ています。
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坑口が2つ並んでいるのがわかります。
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町誌に掲載された坑口。左右では計上が違うようです。「ラドン」のロケは右側の坑口で行われたことがわかります。
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これは地元の方から見せていただいた写真です。坑口のまわりに多くの見物人がいるので、おそらく「ラドン」の撮影時のものだと思います。
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ボタ山が正面方向に見える、ロケの行われた方面の坑口を目指します。
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何の表示もありませんが、位置としてはこの辺りだろうと勘を頼りに進みます。
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これですね。なかなかちゃんとした状態で残っていました。「ラドン」の画像とも一致します。
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プレートには「東坑」とありました。それにしてもかなりの年月が経っているにしては、表面にさほど劣化も見られません。地底に奥深く延々と伸びる坑道を築いた鉱業技術の高さを感じました。
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坑口の隙間からは湧き水が滾々と湧き出ていました。地元の方の話では「この辺りは水が豊富で、水には困らない」のだそうですが、炭鉱にとっては水はかなりの厄介者となります。昭和13年6月14日には加勢第一坑において旧東ノ木(とうのき)坑の溜まり水が炭壁を噴き破り、作業中であった6人が犠牲となる事故が発生しています。
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2つの坑口の中央上部には、日鉄のマークが見えます。
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ちなみに「ラドン」で撮影された坑内は、このような感じになっています。
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現在、リアルな坑内の様子は池島炭鉱跡で見学することが可能です。まさにこのような感じですね。
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東坑前にあった陸橋から反対方向を眺めると・・・
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このように、ボタ山と選炭施設の一部が見えたはずです。手前には坑内に運び込む坑木を満載した炭車(炭函)の列が見えます。
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地図にもあったボタ山は、「ラドン」の中にも見えます。
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現在は、かなり上部が削られているようですが、やはり2つの「峰」は健在であり、中腹あたりには黒い石炭(ボタ)の山肌が見えています。
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ちなみに大加勢(鹿町鉱)から小佐々方面に向かうと山の斜面を道が登ってゆくのですが、この場所もやはりボタが積まれていたようで、道沿いには黒い石が見えます。
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元ボタ山であった場所には、地域により植樹などが行われているようでした。
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もう一ヶ所の坑口を目指します。どうやらこの先にあったようなのですが・・・。


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しかし、こちらの方は残念ながら土砂によりほぼ埋まってしまっていたようでした。近くにお住まいの方に聞いて、「坑口があった」という場所に行ってみましたが、樹木の生い茂る崖の斜面であり、わずかにコンクリートの壁の一部を確認するにとどまりました。
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この場所から裏手の方にまわると、なにやら古いトンネルのようなものが見えました。
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近くで農作業をされていた方に聞くと、この辺りは昔から「火薬庫」と呼んでいたそうで、ダイナマイトなどを保管していた場所ではなかったかということでした。トンネルは5mほどで向こう側に抜けます。
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そこにはなにやら頑丈そうなコンクリートの建物がありました。
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少し離れたところにあるレンガ造りの建物。こちらは古い時代のもののようです。建物の向こうに見える人影が案内してくれた方で、その方のワンちゃん(手前)も一緒に案内してくれました。
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なにやら雑草ばかりが写っていると思われるかもしれませんが、その方が言われるには、この穴の部分には坑内に風を送る送風機があったのだそうです。
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どうもありがとうございました!
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長くなるので、続きはその②でご紹介したいと思います。
それにしても、これだけの坑口やシックナーが残っているのであれば、整備をすれば見学に耐えられる場所になるのではないかと思います。
軍艦島のような特異性はないかもしれませんが、今の子どもたちに「炭鉱」という理科的・社会的な学習を行う場所としては最適なのではないでしょうか。そしてそれはエネルギーの問題を考える上でも大事なことであると思います。
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(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月