タイトル通り、JR早岐(はいき)駅の駅舎は明治30年、東彼杵郡早岐村(現佐世保市)時代の建築で、長崎県内ではだんとつに古いものです。また九州においても鉄道創成期に造られた駅舎として大変に貴重な駅舎のひとつであることに間違いありません。
しかし、残念ながら平成25年現在、この駅舎は「長崎県最古の駅舎を有していた・・」と過去形になりそうです。

またタイトルにもあるように、アーティストとして有名な藤井 フミヤさんが国鉄職員として、正式に勤めたのがこの早岐駅でした。藤井さんは早岐駅勤務時代、24時間勤務の休みを利用してはチェッカーズ・メンバーのいる久留米に帰り、練習・演奏を重ね、ヤマハライトミュージックコンテスト・ジュニアライト部門グランプリを獲得。昭和58年に退職した後は、ご存知の通り国民的人気グループとして一気にスターダムに駆け上っています。
IMG_0036


明治になってから「海軍鎮守府」が置かれることになって、急速に発展することになった佐世保の街。その建設の為に莫大な数の人や物資がこの地方に入ってくることとなりました。特に多かったのが佐賀から移ってきた人たちであり、早岐神社には佐賀県出身者の参拝者が多かったと聞きます。今の独特な佐世保のことばや文化にも大きな影響を与えているものと推察されますが、九州一円や西日本各地から様々な方がこの駅に降り立ったことでしょう。
この古い駅舎に様々な思い出をもつ方が一帯どれだけいたのだろうか?と考えると、それこそ想像すらつきません。

そういった意味で、この駅舎は佐世保地方の発展のみならず、長崎県における鉄道の歴史を標すモニュメントでもあるわけです。
IMG_0048 (2)

平日の昼間ともなると駅舎の中は静かですが、中に入ってみると天井が高く、その意匠を凝らしたデザインに歴史の深さを感じます。
IMG_0042 (2)

逆アングルです。 「停車場」と呼ばれた時代の息吹が伝わってきますね。奥の柱には暖炉跡が残っています。
IMG_0038 (2)

ちょうどこの時はクリスマス・シーズンでしたので、改札口付近にはイルミネーションの飾り付けがしてありました。いかにも手作業でなされた感じがかえって「あたたかさ」をかもし出しています。
IMG_0050 (2)

多くの出会いや別れの場となってきたであろう、出入り口付近。この雰囲気がなくなってしまうとしたら、それは本当に残念なことです。
IMG_0052 (2)

また佐世保に列車で訪れたことのある人であれば、誰もが経験したことがあるだろうと思いますが、列車は必ずこの早岐駅でスイッチ・バックをして反対方向へと走ってゆきます。これも長崎県最古の駅という歴史が起因しています。
国有化される前の「九州鉄道」時代、佐賀方面からの終着駅として明治30年7月10日に開業。12日後に開業した長崎駅(現在の浦上駅の場所)-長与駅間と結ぶ線としてわずかながら大村方面を向いて駅が建設されたが為に佐世保方面に向かうには、このスイッチ・バックが必要となったのです。
↓下図参照のこと。
当時は近くの早岐港から長与駅方面の港に鉄道連絡船が出ていました。
翌明治31年には分岐する形で早岐駅-佐世保駅間も開通していますが、その名残りのスイッチ・バックが現在も続いているというわけです。

大きな地図で見る

早岐駅と駅舎を見るとき、この「早岐」という街が、古くから交通・商業の要地としていかに重要であったかが、見えてくると思います。

また開業時から早岐機関庫(後の機関区、車輌基地)が隣接して置かれたために、多くの車輌がこの場所に置かれ、また出入りしています。その名残りの給水塔の台座なども一部見ることができます。

↓これは昭和57年の空撮による早岐駅周辺です。上方が佐世保駅方面です。多くの引込み線や保管車輌、そして転車台やエンジ色の給水塔台座も見えます。(クリックで拡大)
4e80a54d

早岐機関区に所属した車輌の中でも、多くの方が覚えておられるのではないかと思うのが下のC 11蒸気機関車です。スイッチ・バックして佐世保駅に向かう際には、先頭車両に連結して列車を引いていきました。
画像では東京からの寝台特急さくらをC11が牽引していますが、C11は西日本において最後まで特急を牽引し続けた蒸気機関車として昭和43年9月まで、その役目を果たしました。
ma4939

ちゃんとC11にも「さくら」のヘッド・マークが付けられていました。(昭和41年)
ma4945

こちらは急行平戸号を引くC11 370号機。
ma4948

C11以外にも多くの蒸気機関車が配置されていました。以下は全て早岐駅構内で撮影されたものです。
これは昭和46年に撮影された C57 124が引く442列車です。
ma4940

早岐駅を出発し、大村へ向かうC57旅客841列車。(昭和46年)
ma4938

御召し列車として同機関区で整備中の48647号機。(昭和44年)
ma4942

そして、あかつきを牽引したDE10形ディーゼル機関車など。
ma4947

今は「静かな街中にある古い駅舎」という感じの早岐駅。この駅で途中下車して、明治の駅舎を味わった後、商店街を歩いたり、早岐の瀬戸を眺める・・というのも一興ではないでしょうか。

またこの駅舎は様々な歴史を見つめ続けてきています。昭和20年に原爆が長崎に投下された時には、この早岐駅にも多くの負傷者が運ばれ、ホームが臨時の救護所となっています。
ma4047

早岐駅前で引き上げ者などの被災者に助けの手を差し伸べる聖母の騎士修道会のゼノ神父。
fdbabb8b

歴史を学ぶべき未来の子どもたちの為にも、この駅舎が保存されることを願ってやみません・・。
IMG_0037 (2)



*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は衰退しつつある、故郷・長崎の良いもの未来に向けて、広く伝えるです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月