松浦鉄道・たびら平戸口駅。昭和10年、北松浦郡南田平村時代に鉄道省(後の国鉄)により設置された駅ですが、記事タイトルのごとく隣りの島である平戸島への玄関口という意味の「平戸口」という名称が付けられた時代が長く続いています。
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写真は昭和10年8月6日、平戸口駅開業の日のものです。造りは当時から変わっていないことがわかります。写真では多くの人がプラット・フォームに立っているのが見えますが、入ってくる一番列車を待っているのでしょうか。
当時は平戸がこの一帯の中心であったとは言え、地元の人にとって地元の地名が駅名にならないことについて、やはり議論はあったそうなのですが、結局「平戸口駅」は国鉄、JR時代もそのまま続き、昭和63年に同線が松浦鉄道として生まれ変わってから、ようやく平成元年に「たびら平戸口駅」と改称されています。
(平成5年の合併により北松浦郡田平町は平戸市となったので、もはや議論の元が解消されたわけですが。)
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平戸大橋(昭和52年開通)が開通し、平戸島と本土が地続きとなっている現在、平戸へ行くほぼ全ての人が車で橋を渡っていきます。佐世保方面から向かうと、橋を過ぎて500m以上先にある「たびら平戸口駅」の名称は今ではどうしても違和感を拭いきれません。
しかし昭和10年当時、平戸島へ渡るには船しかなく、下写真の田平町「平戸口港」からは、頻繁に往復する船便がありました。(平成25年現在、船便は0となっています)
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またこの地域における鉄道の歴史の変遷を見ても、この名称についてうなづけるものがあります・・・
それは「たびら平戸口駅」の中に併設されている「鉄道博物館」の中の展示パネルを見ていただければわかりやすいかと思います。同館は、駅の営業時間内であれば、誰でも無料で見学することができます。
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これは大正13年の北松および佐世保地方の鉄道路線図です。オレンジの線が「佐世保鉄道」の路線で、青い線が鉄道省の路線図です。(色は管理者がPCで付けたものです)
まだこの時代には北松には鉄道が延伸されていなかったことがわかります。
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約11年後の昭和9年。佐世保鉄道は世知原線と臼ノ浦線という炭鉱地帯と積み出し港を結ぶ線が整備・延伸されています。
一方、鉄道省(国鉄)線の方は伊万里から伊万里湾西岸を北上し、現在の松浦市・志佐まで鉄道が開通しています。
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これは「予測図」であり、実際に博物館に展示されているパネルではないのですが、平戸口駅が昭和10年に開業していることから作成してみた図です。
主に送炭線であった佐世保鉄道はまだ鉄道省線とつながっておらず、佐世保鉄道・上佐世保駅と鉄道省線・北佐世保駅の間には約400mほどの距離がありました。
吉井町以北には鉄道が伸びておらず、南田平村には東の方から日本最西端の駅としてこの地に西進しながら到達していたことがわかります。まさに「平戸へ向かって真っ直ぐに」伸びてきた線であり、これを「平戸口駅」としたことも、わかるような気がします。
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その後、佐世保鉄道は鉄道省に買収され、上佐世保-北佐世保間も開通(上佐世保駅は廃止)。断層のため鉄道を通すことが困難であった、吉井-江迎間も昭和19年に開通、20年には図のように北松、松浦、伊万里、佐世保をぐるっと繋ぐ鉄道網が完成しています。これは戦時における工業地帯と採炭地である北松炭田とを結ぶという意味が大きく関係していました。
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その後、臼ノ浦線、世知原線、柚木線といった「盲腸線」は廃線となっていますが、松浦鉄道の路線が炭鉱の分布と石炭の輸送に大きく関わって敷かれてきたことがよくわかるかと思います。
そういった意味合いもあってか、たびら平戸口駅・駅舎の外には石炭車である国鉄セラ1形貨車が静態保存されています。
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屋外展示であり、雨風に晒されている為、腐食・劣化がかなり進んでいます。今後、子どもたちの地域学習の為にも長く保存されることが望まれるところです。
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「相浦」の文字が見えます。石炭積み出し港であった相浦駅に所属した貨車であったということでしょうか。
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こちらには「熊本区」と書いてあります。「佐々機関区」ではなく「熊本機関区」であるということは、詳しくはわかりませんが、北松、佐世保での役目を終えた後、三池方面に送られ使用されたということなのかもしれません。
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鉄道博物館の展示物・パネルを見ていると、昭和30年代にかけて多くの人で賑わった北松の息吹が感じられるような気がします。ぜひ実際にこの場所で展示物に触れて欲しいと思いますが、物理的に困難な方の為に、一部展示を紹介したいと思います。

カウンター下に並べられた駅名標。懐かしいプレートに久しぶりに出会う方もいるのではないでしょうか。
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「さよならJR松浦線」のプレートやレールなど。ちなみに佐世保鉄道(佐世保軽便鉄道)時代の軌道は狭軌であった為、国鉄買収後に改軌が行われています。
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車輌に付けられていた行き先を示す「行き先板」。臼ノ浦-世知原など、懐かしいものも見えます。
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「列車着発時刻表」。「炭」と表示された列車もありますね。
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かつての世知原線(元は世知原町・松浦炭鉱の専用送炭線であった)を走っていた蒸気機関車です。
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パネル写真も紹介します。
これは昭和44年頃撮影された相浦駅付近を行く28627号蒸気機関車です。軌道が扇形に分かれており、向かって左側は積み出し港の埠頭まで伸びていました。
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同じく昭和44年頃撮影された、佐々駅付近を走るC11257号蒸気機関車です。
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昭和40年に撮影された佐々駅構内。左側が臼ノ浦線のキハ20で、右側が松浦線のC11162号機です。
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昭和46年12月26日をもって廃止となった臼ノ浦線・臼ノ浦駅とキハ55です。
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今は乗降客も少なくなっていますが、単式1線と島式2線の複式3線のホームがあり、この地域にとって主要な駅であったことがうかがえます。
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島式ホームの隅には作業車のような車輌が見えましたが、確認できませんでした。向こう側にはちょうど咲き始めた桜が見えました。
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駅舎内には売店もあります。野菜の種なども売っているようですが、ここで鉄道や炭鉱に関するグッズなどを売ると人気が出そうですね。
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駅前には日通の大きな倉庫が見えます。これも流通量が多かった時代のことを彷彿させるものですね。
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かつての炭鉱地帯に思いを馳せながら、のんびりと松浦鉄道の旅を楽しむというのも味わい深そうです・・・。
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「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧





*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は衰退しつつある、故郷・長崎の良いもの未来に向けて、広く伝えるです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月