西海市では他に、炭坑で栄えた松島の松島小学校と多以良小学校が実質閉校し、瀬戸小学校と合併、平成25年度から瀬戸小学校校地にて「大瀬戸小学校」となります。
おそらくメディアでは地元誌に小さな記事として載るだけのことでしょう・・・
雪の降った1月のある日。今ある同校を訪ねてみました。
市内ではまったく冠雪しなかった雪も、同校のある山間に近づくにつれ深く積もり、125ccのバイクのタイヤが横滑りしながらノロノロと進んでいきます。
そしてやっと分校前に到着。路上の雪もなくほっとしますが、遠く望む山並みはうっすらと雪化粧をしていました。
本当に周りには何もない田畑の中にその建物が見えました。
さいかい交通バス「分校前」バス停から幸物分校への小路が続いています。
何とも親しみの持てる手作りの看板が迎えてくれました。
鉄筋コンクリート3階建ての校舎は昭和54年に落成しています。
(画像は全て許可のもとに撮影してあります)
玄関に貼ってあった言葉、「有終の美」。
玄関内の教員用と来客用の下駄箱。そしてこの日、子どもたちが遊んだと思われるサッカーボール。
来客用の下駄箱の上に置いてあった塊炭。地区の方からの寄贈とあります。位置的に池島、松島といった炭坑の島に近く、働きに行かれていた方も多かったことでしょう。
本当はグラウンドで遊ぶ子どもたちを撮りたかったのですが、雪の為に遅れてしまい間に合いませんでした。
職員室には教頭先生と用務員さんがおられましたが、非常に暖かく迎えていただきました。自分が教師でしたからわかるのですが、大きな学校でしたらちょっと考えにくいことです。
職員室のある1Fの廊下には、びっしりと4人の子どもたちの作品などの展示がなされています。もちろん少人数だからというのはありますが、その質の高さには目を見張りました。元教師として「掲示の質や量にこそ、教師たちの創意工夫と情熱が表れる」ということがすぐにわかりました。
この4人にとって、この分校での体験は一生ものですね。
(プライベートに配慮してモザイクをかけさせてもらっています)
1Fにある「ほんの森」。廊下にまで本が溢れています。
毎学期、目標を立て、発表会を行っているのでしょうか。しっかりとしたことが書いてあります。
1F玄関前のスペース。右手の部屋はランチルームでしょうか。
開いているドアの中はこうなっています。4人並んで給食を食べるんでしょうかね。実は幸物分校では完全給食が開始されたのは給食センターが設置された平成5年からのことです。
壁にかけてあった卒業制作。板の数と「大瀬戸町立」とあることから、合併前の平成16年度以前のものだということがわかります。学校行事と美しい山の草花が彫られています。
階段の横の壁もこんな感じです。
読書に力を入れられているようで、読んだ冊数に応じてパズル絵が出来ていくという掲示でした。
2Fの教室です。電灯のついている部屋で硬筆の授業を行っているということでした。
「幸物自まん新聞」。多くの方に読んで欲しい新聞ですね。
4人なので、それぞれの子どもが専門委員会の長です。
玄関を出ると、この山並みの景色が広がります。
グラウンドへ向かいます。このペイントも卒業制作です。学校そのものが、子どもたちのいろんな卒業制作や教師たちの展示で出来ているのですね。生きている学校ですね。すばらしいです。
グラウンドです。ここで行われる運動会には地域住民の方が大勢参加するそうです。
何気ない景色に見えますが、元々この地には平坦な場所がほとんどなく、写真のような住民総出の作業によって造られたものなのですね。職員室そばの廊下に貼ってあった写真には「分教場敷地落成式」と書いてあります。手に鍬や鋤を持った男たちや幼子を抱いた女性、そして子どもたちが写っています。このような思いで、拓かれた学校が消えてゆくわけです。
グラウンドには溶けかけた雪だるまが残っていました。きっと子どもたちが遊んでいたのでしょう。
用具倉庫にも卒業制作のペイントがなされています。
グラウンドの片隅に立つ校歌の碑。昭和60年とありますが、この年に創立50周年の記念式典が行われています。当時の生徒数は23名です。
「山気は清し 飯盛の 霊気を受けて 人となる・・・」で始まる校歌は、作詞山口 平さん、作曲山口 健さんで昭和41年に制定されています。
平成7年に新築された体育館。この年やっと校舎が水洗化されています。
体育館横の花壇。
校章の形になっているのですね!
校門からの帰り道の眺めです。西彼杵半島の山々が遠くまで見えています。
その横の石垣。外海町のド・ロ壁にも似ていますが、平たい石を人力によって積み重ねられていることがわかります。先人達の苦労がしのばれます。
昭和40年には生徒数81名を数えた山の分校も年々その数は減り続け、ここ数年はひと桁となっていました。
教室の灯り。この灯も平成25年3月末を持って消えてしまうこととなります。まさにドラマの中に造られたかのような「小さい、しかしあたたかい」山の分校でした。
この地域のあらゆる面で中心であり、多くの卒業生の心の故郷であった幸分分校。その精神だけは長く語り継がれて欲しいと思いながら同校を後にしました。
西海市立雪浦小学校幸物分校の閉校記念式典及び惜別の会は、平成25年2月17日に同校にて行われます。
〒857-2302
休校・閉校・解体・・・。
寂しい話が当たり前のように流れていきます。
学校が消えることは、開拓で苦労された先人の歴史、町の歴史、そんな全てが忘れ去られていくような感じがしますね。