佐世保市(旧北松浦郡)吉井町直谷免。松浦市との境にも近い山中にあったのが宏安(こうあん)炭鉱です。
gunkanjima367

現在の同地です。現在は社会福祉法人あしたば会さんの施設が建っています。正面の白い建物は、吉井潤心学園です。訪問の意図を伝えると、快く敷地内の撮影を許可していただけました。
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宏安炭鉱は昭和27年、元九州石炭鉱業連盟次長であり、ワンマン社長と言われた安西 豊により開坑されました。
まだこの頃は坑員さんの労働時間が12時間という時代です。
「宏安炭鉱」の看板のあった場所から目の前を流れる福井川を上流・世知原町方面を見たアングルです。この辺りの景観は昔から大して変わっていないのではないかと思います。
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逆アングルは商店の連なっていた吉井町・下直谷方面です。ほうろう看板も朽ち果てていますが、近所の方の話では、この通りは多くの商店が並び、人の行き来も多かったそうです。
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潤心学園の裏手にまわると、どんぐりに混じって石炭の小片が転がっていました。そこから急な斜面をよじ登ります。
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下からはまったく見えませんでしたが、草木に覆われた斜面には、石炭を貯めておいて下に落としていたと見られるコンクリート製のポケットが見事に残っていました。最初の古写真の中に移っているポケットのようにも見えます。
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近寄って触れてみても、劣化が少なく、がっしりとしています。随分と頑丈な造りであったようです。
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ドロップ口の下辺りは、かろうじて陽がさすのか、樹木が育っていました。
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昭和42年1月の閉山から、早や今年平成24年で、55年間。ポケットの中に芽吹いた木も、これほど成長したのですね・・・
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鉱業所や住宅は山の上の高台にありました。現在は荒れ果てているので、おそらく進むことさえできないだろうと覚悟していたのですが、意外や、人ひとり通れるくらいに、雑草がきれいに刈り取られていました。
これは、後からわかったことですが、近くに高圧線の鉄塔があり、数日前に電力会社の点検作業の為、刈り取られたのでした。その点では非常に幸運でした。しかし、施設などは、何も見つけることが出来ませんでした。
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かろうじて確認できたのは、このコンクリート製の入り口のようなものだけです。
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中は完全に土砂でうまっていましたが、何かを下に落とす為のものか、あるいは作業をするための人道口であったかもしれません。しかし、これもまた劣化の無い、頑丈な造りでした。
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森の中を抜け、東に進むと開けた場所に出ました。今はあしたば会さんの施設「老人ホーム・サンフラワー」が建っています。
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おそらくこの辺りに鉱員さんの住宅などが建っていたと思われます。高台となっており、縁に立つと遠く江迎・松浦方面の山並みが見渡せます。風がわたり、大変に気持ちの良い場所でした。
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同鉱では労働条件の改善や賃金アップなどを目指し、会社と交渉する際、自分達で協力して組合事務所を建てるなど、労組の団結力が強かったと言います。
職員婦人会は保健衛生などを勉強する会「ひまわり会」を結成し、労組婦人会有志もこれに加わりました。月1回例会を開き、時には吉井町保健所とも合同で会を行ったそうです。「炭鉱町の華」でもあった婦人たちのつくった会は、「いつも光のある方をさす」向日葵の名を取ったというのがいいですね。

今、この場所に建つ老人ホームの名前は「サンフラワー」、ひまわりです。この名が「ひまわり会」からとったかどうかは、聞きそこないましたが、生き生きとした相互扶助の精神は半世紀以上経った今も、この地に生きているのだと信じたいですね・・・。




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(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月