世界遺産登録を目指す「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の中のひとつである大野教会は外海(そとめ)地方にある教会で、ド・ロ神父ともゆかりの深い教会ですが、建築様式が「この地に特有の強風から建物を守る」という意味合いから高い尖塔を持つゴシック様式でないためか、この地を巡る旅行者から発見されにくく、初めて訪れる人に「キリシタンの集落があった場所」と想像させることは、かなり困難となっています。
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それよりも人々は反対側、角力(すもう)灘の、どこまでも蒼い海の方に目を奪われてしまいます。
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誰もが気にも留めずに通り過ぎてゆく場所。ここに神浦(こうのうら)小学校大野分校がありました。
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大野分校跡を探して尋ねに入った1軒の酒屋さん。「大野分校跡を探していますが、知っていますか?」
「ここです。」「・・・・・・?」
一瞬、面食らったのですが、まさにその酒屋さんの敷地が大野分校の敷地で、ご主人も同校の卒業生なのだとか・・・。
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わざわざ山のような種類の中から大野分校の当時の写真を探してくださいました。写真に写っている子どもの一人は自分であるかもしれないと・・・・。
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大野分校は明治23年の小学校令により、いったん神浦小学校より分離独立し、「大野尋常小学校」となりましたが、13年後の36年に再び神浦小学校の分教場へと戻っています。
いずれにしても集落の中心として親しまれたと思うのですが、昭和44年3/31をもって廃校となってしまいました。開校が明治10年ですので、92年間の歴史に幕を降ろしたことになります。

敷地からは池島もよく見えています。
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扇山分校とはまったく立地の違う海岸沿いに集落がありますので、おそらくその成り立ちや歴史にも違いがあることでしょう・・・。
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ご主人のお話の通り、分校の痕跡をとどめるものは一切残っていないようにみえましたが、隣地の一角には古い水槽の跡が残っていました。あるいは分校時代からあるものかもしれません。
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もちろん案内板などはなく、時が経てばここに子ども達が集い学んだ学校があったことなど忘れ去られるのかもしれません。
何とか記録しておきたいと思いました・・・。
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マンホールの蓋には西彼杵郡外海町時代の名残りが残されていました。
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酒屋さんのご主人はこの地のイベントである「神浦散歩未知(こうのうらさんぽみち)」の運営委員もされていました。この静かなキリシタンの里をのんびり訪ね歩くのも、なかなか趣き深そうですね・・・・。