「そして誰もいなくなった」は確かアガサ・クリスティーの推理小説の邦題ですが、近頃の長崎近辺を歩いて、古写真(といってもせいぜい明治末期から昭和30年代あたり)と見比べてみると、そのタイトルがぴったりとくるような気がします・・

たとえば下の写真は現2012年の百合野橋から見たJR道ノ尾駅付近ですが、けっこう大がかりな工事をしている割に写真から確認できる人間の姿はゼロです。
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明治30年より数年前頃の同場所です。九州鉄道により長崎本線が切り開かれている頃の写真であり、工事の規模が違うとはいえ、ここには少なくとも60~70人のヒトの姿が写っています。
単純な言い方ですが、ここには70人以上の「雇用」があり、同数の家庭が生計を立てていたということです。質はともかくとして。
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日を変えて撮ってもやはり同じことです。ひと気がありません。ヒトが忙しく立ち働いていない場所には「活気」はありません。活気の無い場所はヒトを集めず、したがって個人商店や学校が毎年のように消えてゆきます。
(道ノ尾駅に今ではめずらしくなってしまった国鉄色のディーゼル・カーが停車しているのが見えます。)
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ヒトの何十倍もの作業をこなす重機や機械が発達した上に、この不景気をのりきる為には「いかに人件費のかさむ従業員を減らせるか」が重要課題である現代ですから、「時代の流れ、やむなし」と割り来る人も多いことでしょう。

しかし、一方でこの先の時代が未来の人々にとってよい社会が来ると楽観する人は少ないでしょう。

下は今からほんの100年前、巨大な鋼鉄船に燃料である石炭を積み込む人たちの様子です。ここにも多くの人々が忙しく立ち働く「活気」が満ち溢れています。「石炭を燃料として使う大型船が貨客や貨物を運ぶ」という近代化がなければ、この人たちの仕事も無かったわけですが、産業機械の発達はやがてこの人たちの生活の糧すらも奪ってしまいます。
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この流れを軍艦島という炭鉱の島で見ていきたいと思います。
元々はただの岩礁にすぎなかった軍艦島(端島)。ここでたまたま露出した石炭が発見されたことから、炭鉱の為の人工島が造られます。
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男たちが全国より集まり、坑口から数kmにも及ぶ地底坑道内で労働に従事し、地上では当然その家族さん達の生活がありました。
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鉱員さん家族にとってかけがえのない「財産」でもあった子どもたち。笑顔が満ち溢れていますね。
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重労働で、危険極まりない仕事でしたが、その対価としての賃金は家族の生活を支え、島に活気と潤いをもたらしました。
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多くの鉱員さん家族が存在していたが故に、毎日対岸から多くの野菜や鮮魚が島内に運ばれ、商売をする多くの人々の生活もまたこの地では成り立っていました。
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そして「使い捨て時代」でなかったこの頃には、どんなお年寄りにだって立派な仕事がありました。皆が裕福でなくとも、額に汗して働き、助け合って生きる明るさがありました。その明るさが活気のベースであったのかもしれません。
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しかし、かつて人力や馬力で行われていた作業は大方を機械でまかなうようになり、軍艦島のような国内炭鉱では、利益率が悪いということから採炭という事業そのものが「廃止」と決定されました。

そして現在のような1974年(昭和49年)のちゃぶ台にお茶碗が残ったまま、無人となった島、軍艦島が残されてしまっているのです。
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この島に再び、人々が戻ってきて活気を満たすなんてことは永遠に無いでしょう。
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軍艦島を例に見ましたが、都会地で人酔いするほどの大群衆の中に立っていても、「活気」というものは感じられないように思います。

200年ほど前のイギリス中北部では、産業革命により機械が普及し、それまで人力で行っていた職人たちの雇用が損なわれたとして機械の打ち壊し活動が起っています。
しかしここで、その時代の「ラッダイト運動」を論じるのもナンセンスでしょう。これからも産業用ロボットは進化を続けるでしょうし、たとえそれを止めたとしても、かつての活気ある社会が帰ってくるとも到底思えません・・・。

しかし、一方では環境汚染や資源の枯渇など、「戻してゆく」活動も重要であることは誰もが承知していることでしょう。
そして今後、経済社会の発達を血眼になって探ってゆくと同時に、どうすれば社会が活気を取り戻し、人々の中のモチベーションも上がってくるのか、もまた同時に研究すべきであるということだけは間違いがなさそうです。