大黒・恵美須市場の閉鎖から一ヶ月。ヒトがいなくなった同市場は、急激に風化が進んだような気がします。
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市場の中の通路にはかろうじて電気が点いていましたが、ほとんど陽のささない内部は、一切の色彩を失っていました。年末などには、買い物をする人で溢れ、通り抜けるのもやっとであったという時代を想像することは非常に難しい状態となっています・・・。
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お店の人たちに餌を貰って住んでいた猫達だけが、そのまま残されていました。その姿は、尚いっそう寂しさをつのらせます。
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建物全体の「鼓動」が止まってしまったかのようです・・・
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・・・2012年3月14日。市場が閉まる半月前、同市場で写真展をしていた長崎南高校3年の岡部優君と2~3F部分の住居スペースを見せてもらいに行きました。営業されていた店はもう5~6店舗でしたが、それでもまだ人が住み、商いを営むというあたたかさが残っていました。
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アングルは違いますが、3枚目の写真同じ場所です。とても同じ場所であるとは思えませんが・・。
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市場で最後まで営業を続けられていた管(すが)鮮魚店さん(管 正人さん【80】、洋子さん【78】)の住居スペースを見せていただきました。
お店のすぐ上にはかくもあたたかな家庭があったのですね。
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壁にかけられたお子さんの写真。管さん親子にとっては、ここは唯一無二の「故郷」であるわけです。
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タンスの上にのぞいていたぬいぐるみ。こんな品物ひとつひとつにも様々なご家族の思い出があるように見えました。
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3階窓からの眺め。高層マンションの右手の方が「大波止」になります。
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風通しがよく、非常に快適そうな場所でした。
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この数週間後、長崎を離れた岡部君。関西の大学に進学した後は写真を学ぶそうです。長崎のこういう場所を撮影することができたことをずっと覚えておいて欲しいですね。
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住居のすぐ下がお店です。管さんは、18歳の時に闇市の鮮魚店で働き始めてから、市場ができた後もこの地で鮮魚店を営まれてこられました。
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市場の解体にはけっして納得されたわけではないそうですが、「よろこんでくれるお客さんがいる限り、最後の一日まで商売を続ける」と言われていました。そして事実そうされました。市場と共に56年間働き続け、80歳になっても楽をすることよりも働くことを選ばれ、納得できなくとも愚痴をこぼさず、最後の一日まで笑顔で働かれました。そして他店舗への移転や移譲もせず、きっぱりと引退されました。
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この市場が解体され、元の河川になってしまうとしても、この管さんのような働き方を、そしてご夫妻の生き方を、我々長崎市民はどこかで覚えておきたいと思うのです。
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長崎新聞 「大黒恵美須市場物語」⑥⑦