NPO軍艦島を世界遺産にする会・理事長、坂本道徳さんの著書「軍艦島の遺産」は私のお気に入りの1冊ですが、その中に、こういう一文があります。

『 ・・・一時、ここ(軍艦島)をライト・アップしようという計画があったらしい。しかし、私たちが求めている灯は、ライト・アップの、見せるためだけの灯ではなく、家族や家庭がともすほのかな裸電球のやさしい灯である。・・・ 』

昭和49年をもって、この島の全ての灯が消えて以来、夜間に灯がつくことはありませんし、第一夜間に上陸することすら叶いません。

もし昼間に、この景色を見たとしても、ただの「空洞」にしか見えないかもしれません。(画像は、許可を得た取材時に撮影したものです)
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しかし、ここは30号棟近くにある人道トンネルの入り口で、島の玄関口である「ドルフィン桟橋」まで続いています。つまり様々な「出会い」と「分かれ」が交錯した、住人にとって忘れ難い場所で、トンネル内にはポツリポツリと灯りがついていました。
現在、どの資料集や写真集にもこの場所を写したものが無く、この模型でしかその「トンネル内にともる灯」を見ることはできません。
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人道トンネルは住居側でYの字になっており、もう一方は鉱業所方面へと続いています。
模型では、大八車で荷を運ぶ人の姿が見えますが、そばには30号棟(大正5年建築・7階建/RC造)の各部屋の灯が見えています。
軍艦島の創成期から建つこのアパートの灯は、夜間島に帰った人々が見上げた灯であり、おそらく「我が家の灯」のような、ほっとする灯であったことでしょう・・
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現在の同地をトンネル内から見たアングル。30号棟の一段高くなった場所には「賃金受け取り」の窓口がありましたので、住人の方にとっても馴染みのある場所だったでしょう。
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コの字型の65号棟に囲まれた児童公園。夕暮れともなると、このように家々の灯に囲まれたことでしょう。
もともと迷子になる心配のない人口島でしたが、かくも大人たちの目に守られ、また「きびしく、やさしい」住人達によって見守られ、かつ育てられていました。
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『 家族や家庭がともすほのかな裸電球のやさしい灯 』・・・なんとしても、東シナ海側から、その灯を見てみたかったものです。しかし、その夢は永久に叶うことはありません。
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(北側から見た、軍艦島の灯。左が小中学校、右が65号棟(報国寮)。


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