佐世保市(旧北松浦郡)小佐々町楠泊にあった楠栖(くすずみ)小学校旧校舎。画像のように校舎からは日鉄矢岳(やだけ)炭鉱のボタ山が迫る、小高い丘の上にありました。
炭鉱の最盛期、ボタ山が高くなればなるほど、生徒数も増えていきました。
kusuzumi
創立は明治17年。前川小学校楠栖分校として発足。光福寺の下、石段の北側の民家を教場としてスタートしました。
明治29年楠泊免1975宮田に新築移転、大正8年9月丸岳の旧楠栖小跡地に移転の後、
昭和62年に現在地に移転しています。

画像は昭和57年の航空写真です。現存する矢岳炭鉱のホッパーとの位置関係がはっきりとわかりますが、古写真に見られたボタ山はなくなっていることがわかります。(或いは削られて、かなり低くなっている)
小佐々楠泊500

地質図に記載された楠栖小学校と送炭線の配置です。
くすずみ

現在の楠栖小学校跡地。全てはこの1本の碑が立つのみとなっています。
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古写真のアングルから写真を撮ろうと思ったのですが、それは不可能でした。炭鉱写真に多いのですが、ボタ山や櫓の上から撮影された可能性が高いと思います。よって現在ではその場所自体が存在しません・・・
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唯一、学校があったことを示す構造物は、敷地の隅に残されたこのコンクリート像だけでした。
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そして数本の桜の木。
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道路わきにはなぜか鶏と鳩のいる鳥小屋が。もしこれが楠栖小時代からの子孫?たちであったとしたら、すごいですが・・・知る術もありません。
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取り壊し直前に撮られた旧校舎です。昭和33年~735年にはベビーブームの高波から児童数が1,700人を突破。増築に迫られ、工事中は楠泊地区の公民館や日鉄矢岳会館前の社宅を借りたりして授業を続けました。
矢岳鉱閉山後、児童は減少しましたが、昭和61年に創立100周年を迎え、翌62年に現在地に新築移転しています。
楠泊小学校web

校舎が建っていた場所は宅地や畑になっています。背後の道に立つと眼前には風光明媚な景色が広がっていました。
「横はボタ山、前は海」その雄大な景色の中で児童たちは逞しく育っていたのでしょう。
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背後の裏山にも炭鉱時代の遺物がありました。桜の木と消火栓です。新1年生と親御さんが胸をはずませて桜下を通り、小学校に向かう、という光景もよくみられたのでしょう・・・。
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(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月