佐世保市三浦町教会。JR佐世保駅に降り立つと、眼前の丘の上に見えるその建物は、佐世保市のシンボルとも言えるものでしょう。
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下は、昭和30年頃の三浦町教会です。まだ周りに高いビルも無く、本当に「街のシンボル」的な建築物であったことがよくわかります。三浦教会516

終戦と同時に進駐してきたアメリカ軍兵士たちの目には、この風景はどう映ったのでしょうか・・・。
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上の写真でもわかりますが、戦時中三浦町教会は、「爆撃目標になる」という理由から全体を黒く塗装されていました。
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飛行高度1万メートルのB-29爆撃機から見て建物の白黒がどれくらい視認できたかのか、かなり疑問ですが、昭和20年6月28~29日には海軍鎮守府・海兵団・海軍工廠などをターゲットとしてB-29による大規模な空襲があり、甚大な被害・犠牲者を出しています。
上の写真では、三浦町教会のすぐ隣りが、爆撃により倒壊していることがわかります。

下図は空襲による被害を示した地図です。赤い矢印が三浦町教会の建っている場所ですから、本当に間一髪で直撃を逃れていることがわかります。
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海軍施設の集中していた佐世保の中心部が焼け野原となっていますね。
その焼け野原の向こうに三浦町教会がぽつんと見えています。(背景の山の稜線は、場所を特定されないように修正してあるようです)
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三浦町教会がこの地に建てられたのは昭和5年(同6年献堂式)。元々は現在の市役所に近い谷郷町に明治30年に建てられたものですが、その後移転しています。そのいきさつはわかりませんが、鎮守府や軍用地接収のためであったかもしれませんね・・。
戦時中は敵国アメリカやイギリスと同じキリスト教を信仰しているとして「スパイの巣」と呼ばれ、憲兵隊などから厳しい取締りや迫害を受けています。
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また、教会の建っている丘から海軍工廠や軍事基地が一望できるという理由から、尚いっそう厳しい監視の目が向けられました。
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教会の隣りには「聖心幼稚園」があります。この幼稚園は長崎の純心女子学園、純心大学などとも同じ系列の幼稚園です。
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長崎のカトリック系学校や神父たちにもまた厳しい監視や嫌がらせを受けています。何の罪も無い子どもたちにそのような目が向けられたことは、本当に残念としか言いようがありません。(写真は昭和16年頃)
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しかし、敗戦とともに信者さん達は、厳しい監視や弾圧から開放されました。写真は、アメリカ軍の中のカトリック信者たちと談笑する日本人の神父さん。
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まず子どもたちが、アメリカ兵たちに近寄っていきました。
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若きアメリカ兵たちにとっても、子ども達の屈託の無い笑顔は何よりのものだったのでしょう・・・
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そして若い男女はお互いに言葉を教えあうなどして、交流を深めていきました。この時代にあってもまず差別や偏見を打ち破っていったのは、やはり若い世代であったようですね。
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そして母子の姿は世界共通のものであり、幼子を背負った母親の姿は、アメリカの青年達に望郷の念をつのらせたようです。
こういう写真を見ると、あらためて「戦争とは、なんだったのか」と思ってしまいます。
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今は訪れる人もさほどなく、昼間でも静かな教会の内部・・・。
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B-29と「火の雨(焼夷弾)」が覆い尽くした日の空を覚えているこの三浦町教会は、観光コースからも外れ、遺産候補でもないようですが、今も静かにじっと街を見守り続けています・・・。
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