長崎県東彼杵郡川棚町石木郷。今はひと気も無く、のどかな風景が広がるばかりの同地ですが、向かって左側の山すそには、20本以上もの疎開工場(海軍工廠)トンネルが掘られ、「九一式航空魚雷」製造の為の軍需工場地帯となっていました。
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石木郷は、下地図でもわかるように川棚海軍工廠の北部・山間部側にあたります。資材や人員が移動するためのトンネルもいたるところに掘られていたということです。
しかし、「トンネルを掘る」という行為は、「空襲を避ける」という意味であり、こういう状態は、「制空権や制海権をとられ、防戦一方となっている」という苦しい立場を示すものでもあります。
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教育委員会による案内板がありましたが、他に地図や資料などは見当たりません。戦後50年経って設置された案内板がたったこれだけというのは、正直寂しい気がします・・・。
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もっと気持ちを寂しくさせるのは、その保存状態です。全部で20本以上もあり、同地は開発もされていないので、そのまま残されているはずなのですが。
番号の若いトンネルあたりは、比較的よい状態のまま残されていますが・・・。
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4号トンネル。
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場所によっては、私有地となっているようで、こうなるともう手の付けようがないようです。ここは、資材置き場として使われているようですね。
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ここは、土砂などにより半分埋もれかけています。
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ここなどは、ほぼゴミや瓦礫などで埋まってしまっていて、かろうじて入り口の上部だけが確認できます。夏場は雑草に覆いつくされていて、場所も特定できなくなることでしょう。
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ここもそうですね。トンネルの入り口があるのが、おわかりでしょうか?
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さらに、ここなどはフェンスがはられているものの、中にはたくさんのゴミが不法投棄されています。
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こんな感じです。奥の方はまだ掘削途中であったのか、岩盤面がむき出しとなっています。DSCF6212

私有地だからとか、そういうことをとやかく言うつもりはありません。しかしこの場所はたった六十数年前、多くの女子学生や中学生たちが親元を離れ、ペンを工具に持ち替えて作業を続けていた場所なのです。下の写真を見れば、まだ幼い顔の女生徒と年配の係員だけであったことがよくわかります。
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郷土資料館の展示によると、石木トンネル工場には、県外からも多くの女生徒たちが動員されていたようです。
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ちなみに千人以上の女生徒たちが動員された割には、製造用の機械設備が貧弱きわまりなく、一日に一本の魚雷製造もあやしかったようです。
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幸いにもこの地は、空襲を逃れていますので、直接ここで被害を受けた人はいなかったでしょう。しかし、青春の一時期をここで過ごし、この風景とトンネル群に今も想いをはせる、という方も少なくはないだろうと思います。
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また、川棚町は国鉄大村線の沿線にあります。長崎に原爆が投下された時、多くの瀕死の重傷者が大村や早岐などの病院に送られたことを考えると、ここにもやはり多くの方が運び込まれたことでしょう。

土地の所有権など多岐にわたる問題が山積しているのは、容易に察しがつきますが、未来の子どもたちに二度と戦争の惨禍が及ばないようにする為にも、こういった生きた平和学習の為の遺構は整備すべきではないでしょうか・・・。
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