「肥前大里炭鉱」
所在地:佐世保市白岳町
鉱業主:真木 重雄
鉱区面積(アール):2,335
操業開始:昭和28年1月26日
閉山:昭和37年11月休止

JR佐世保線が日宇川を越える付近に肥前大里鉱への入り口があります。入り口には元商店ではないかと思われる空き家が建っていました。「ニチボー毛糸」の琺瑯看板が見えます。「ニチボー」は大日本紡績(現ユニチカ)のことで、朝鮮特需(昭和25年~)では紡績業が軒並み躍進したといいますので、その名残りかもしれませんね。
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そこから細い道を入ってゆきます・・・
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大きく削られた崖。これは昔、石が切り出された場所です。この石切り場のすぐ横に肥前大里炭鉱がありました。

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もちろん鉱業所の遺構などは一切目にすることはできません。しかし画像に見える屋根のように、玄関前につくられた小さな破風は、炭鉱住宅に多く見られるデザインですね。
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しかし、閉山からおおよそ半世紀。わずかに残る社宅も無人となり、だいぶ崩壊が進んでいるようです・・
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かつて賑わいを見せたであろう通りも、今ではほとんど人影がありません。
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小川の上に作ったのはお風呂場或いは洗濯場でしょうか・・
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近くの山の斜面には坑口らしき石積みが残っています。規模は小さなものですが、斜坑ではなく竪坑のようです。同じ佐世保市内の瀬戸岳炭鉱の竪坑がちょうど同じような大きさだったと思います。
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近くにあった柱の跡。坑道へおろす櫓のものでしょう。
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石切り場がとなりにあったせいか、かなりきっちりと割られた石で組んであります。
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その坑口跡付近から見た社宅方面。やはり立派な石垣が組んであります。おそらくこの上には鉱業所事務所などがあったのでしょう。
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さすがは石の産地です。現在でも石垣だけは、この通り美しい姿を保っています。おそらく家屋がなくなり、ここに炭鉱があったことが忘れ去られても、この石垣だけは長く後世に残り続けることでしょう・・
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なんと言っても、昔の住宅の魅力というのは、増築や改築により非常にユニークな建築となっているという点です。このお宅のこの部分は子ども部屋でしょうか?住んでいたご家族の生活などが浮かんできて、見ていて飽きません。
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日宇川沿いの住宅には、何故だか古いタイプの街頭が昼間というのにポツンと灯っていました。

川風、鉄橋を渡る列車の音、石切り場の音、そして鉱業所の灯・・・・
戦後、復興の中にあったその時代を想像してみることも一興でしょう・・・・。
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*記事をご覧の皆様へ

皆様の心の通い合ったメッセージを拝読するたびに、「この記事を書いてよかった」と胸があつくなります。
やはり、故郷というものは、誰にとっても忘れることのできない、永遠のものであるということを教えてもらいました。
拙い記事ですが、これからも少しでも、皆様の旧交をあたためる場になれば幸いと願っております。
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