「蛍茶屋」・・・地名でも町名でもないこの名は、路面電車の終点にその名をとどめたことにより、市民には馴染みのある響きがありますが、電停の奥へ進むと、うら寂しいさびしい風景がひろがるばかりとなっています。
とうの昔に閉まった商店、昭和時代のアパート。そんな中にポツンとある古い石積みの小橋。それが「一の瀬橋」です。
この先は道幅が狭くなり、そばに34号線が通っていることもあるので、よっぽど用事か目的のある人でない限り、この橋を渡る人は今ではいないでしょう・・・。
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しかし、ここは、旧長崎街道一の瀬口にあたり、昔は蛍の名所として賑わい、橋のたもとには茶屋、料亭があって、町人から「蛍茶屋」と親しみをこめて呼ばれた場所でした。
まだ交通が発達しておらず移動を脚力に頼っていた時代、特に幕末には「長崎遊学」のために多くの歴史上の重要人物が長崎を訪れていますが、そのほとんどがこの「一の瀬橋」を渡って長崎に入ったと言われています。
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現在の同地。
コンクリートの擁壁の上を日見トンネルに通じる国道34号線が走っています。
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いつのころまであったのか、茶屋のあった場所には石碑だけが残っています。
長崎甚句に「送りましょうぞ送られましょうぞせめて一の瀬あたりまで」と歌われているように、長崎を旅立つ人を見送る惜別の地が、この蛍茶屋でもありました。
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反対側から見たアングル。橋を渡って左に折れると市街に入ってゆきます。
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橋柱にはローマ字で「 ICHINOSEBASHI 」と彫られています。多くの外国人が居留していた影響でしょうか。
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ちなみに長崎へ遊学に来ていた地区別の内訳は、北海道1人、東北121人、関東107人、中部147人、近畿98人、中国204人、四国112人、九州262人です。距離から考えると、東北の方の121人というのが目につきますね。
ここを通ったであろう歴史上の人物としては、坂本龍馬や陸奥宗光、沢村惣之丞らの海援隊士をはじめ、福沢諭吉、緒方洪庵、高野長英、榎本武揚、司馬江漢、大村益次郎、大隈重信らの遊学組、他に吉田松陰などもここを歩いているはずです。もちろん名も無き多くの志士たちがこの橋を渡って長崎へ入ったことは言うまでもありません。
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「蛍茶屋」の面影はすっかり失われてしまいましたが、街道に沿った近くの松嶋稲荷神社には、その風情が残っています。
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ほとんど参詣する人影も見られないのですが、ちょうどこの時は、一人の女性が熱心に祈っておりました。その姿というのは、今も昔も変わらないものでしょう・・・
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さびしい終点の場所、蛍茶屋は、150年ほど前、長崎の陸の玄関口であった場所です。
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