長崎市立西坂小学校。爆心地より2.1kmの距離にありましたが、木造であった為、管理棟・教室棟とも爆風により倒壊し、その後発生した火災により全焼しました。
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被災後の西坂小学校・校地です。鉄筋であった城山小や山里小とちがって、木造であったことにより、跡形もなくなっています。学校の証としては正面に見えるコンクリート製の壁と門柱だけが残っているだけです。
西坂小456

しかし、それがゆえに何かを残そうという配慮があったのでしょうか、校舎の裏手には写真に写っていると見られる古い門柱と階段が残されていました。
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壁のブロックは新しい時代のもののようですが、門柱と所々にある柱は古い時代そのままのようです。
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よく見ると校地を囲んでいるコンクリートも、かなり傷んでいて、その傷み具合からすると、被爆当時のものが補修されながらそのまま使われているようです。その事に関する記録を見たわけではないので、真偽の程は定かではありませんが、劣化位や色合いをみると可能性はあると思います。
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この辺りの壁もそうですね。やはり傷みぐあいやデザインが少なくとも昭和20年前後であるように見えます。
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正門前も修復しながらずっと使われていることがうかがえます。
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被爆時、職員は平屋管理棟に全員いて下敷きとなりましたが、火災前に救出され、幸い1人の死者も出さなかったそうです。
校舎を焼失したため、9月1日までは自由行動となっていましたが、ようやく9月中のある時、諏訪神社の丸馬場公園に40~50人の子どもたちが集まってきて授業を再開する運びとなりました。しかし、場所が無いため、1,2年生が丸馬場公園で、3,4年生は武徳殿付近、そして5,6年生にいたっては長坂段上での青空授業という状況で学習を再開したそうです。
やがては西勝寺において全児童が寺子屋式に授業を受け、卒業式もそこで行われたということです。
現在の地にバラック校舎が建ったのは昭和21年の4月になってからでした。

長坂の段上、お寺、そしてバラックでの授業を受けた児童たち・・・記録ではそんな中でも「授業は楽しく再開された」と残っています・・・・


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*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は戦争の悲惨さと平和の尊さを若者や子どもたちに伝えるです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月