今年の初めに記事を書いた 三菱兵器住吉トンネル工場ですが、その記事の中で『・・・ここまで補強?してしまうと、もはや原型をとどめているとは思えず、保存と言えるのか?・・』と書きましたが、長崎市民でもよほどタイミングがよくないと入れない、そのトンネル内に今回入ることができました。
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補強だらけのトンネルの奥にはこのような生々しい岩盤の地肌が残っていました。非常にインパクトがあります。表示板や作の外からは感じられない「何か」が伝わってきました。
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それにしても頑強そうな岩盤です。これは朝鮮から連行された人々によって掘削作業がされていたというのですが、これは大変な苦難を伴うものであったことが容易にうかがえます。
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風雨に晒されないためか、地面には電線がほぼそのままの状態で残されています。
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このコンクリートの間仕切りも当時のままのものです。
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板材も朽ちていません。
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天井から見えている鉄筋のようなものは、ガイドさんによると電灯の電線ではないかということでした。
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当時の施工面が一部残されていますが、補強された面とさほど変わらないように見えます。
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当時の岩盤面を見ることが出来るのは向かって右側の2号トンネルです。被爆時、合計6本あったトンネルのうち、3,4号トンネルは貫通していたものの、まだ工場としては使用されておらず、5,6号トンネルは朝鮮から連行された人々によって掘削作業中でした。これだけ頑強な岩盤に掘られたトンネルであり、貴重な遺構であるのに、2号トンネル以外はほぼ埋め潰されてしまっています。
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加えて、ここは「被爆遺構」「救護所跡」「強制連行」などの意味を持つ貴重な場所であり、亡くなった多くの方の遺族にととっては「巡礼地」であるのに、駐車スペースすら無く(手前に見えるPは月極駐車場)、常時開放もされていません。このような保存の仕方はいかがなものか?と疑問だけが膨らんでゆくのですが・・・・・。
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*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は戦争の悲惨さと平和の尊さを若者や子どもたちに伝えるです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月