長崎市大山町。熊ヶ峰中腹にあるこの小さな集落へは、よほどのことがない限り一般市民は足を踏み入れたことがない場所です。
2006年に廃校となった「長崎市立小ヶ倉小学校大山分校」があった場所を訪ねてみました。集落へは、夕方であれば薄暗く、心細くなるような深い山道を進まねばなりません・・・
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途中で出会った親切な方がおしえてくれた場所へ行ってみると、そこには「5年前まで存在していたとは、信じられないような」景色が待っていました・・・
ここが大山分校跡です。
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かすかに確認できる「大山分校」の文字。緑青の流れた跡があるということは、かつては銅板のレリーフがはめ込まれていたのを外したということなのでしょう。このかすかな文字のふくらみも、やがてはツタに覆われ、人の目に触れることも無くなるでしょう。
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それにしても、今までに見たどの学校よりも格段に狭い敷地です。「ここがそうである」と教えてもらわなければ、ここが校地であったとはとうてい想像できません。
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校庭からの眺望です。かなり標高があることがおわかりかと思います。分校はこの山中を切り拓いてつくられたわけですね。
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そこに子どもたちがいたことを示すものが、ひとつだけ残っていました。コンクリートの壁に残された壁画です。こういうものを見るとほっとします。最後の年には、絵に見られる7人だけだったのでしょうか。イラストの表情がいいですね。
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校門内側から。夕暮れともなると、山並みが夕日に映え、美しかったことでしょう。そして最後の年の子どもたちは、どのような思いでこの門を出ていったのでしょうか・・・・・。
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元々この大山地区は幕末に外海・黒崎地方から移住したキリシタンの方々によって開かれた地区で、住人の方もほとんどが信者の方だそうです。
画像は「大山教会」です。
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この人里離れた山中を切り開くのには、おそらく想像を絶する苦難があっただろうと思うのですが、そんな地にも「キリシタン弾圧」は容赦なく襲いかかっています。
近代国家となったはずの明治新政府によって、明治4年にこの地区の信者たちは佐賀へと流配されました。「国家」とは名ばかりの頃のことです。
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聖堂の中に置かれた訪問者ノート。誰もがこの険しい山中で信仰を守り通してきたことに少なからず感銘を受けているようでした。
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ずっと使われてきたであろう讃美歌集・・
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堂内のマリア様もなんとなく和風の穏やかな表情に見えます。
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残念ながら「小ヶ倉小学校大山分校」に関する資料をまだ見つけることが出来ていません・・。
これは昭和37年に撮影された「大山保育園開所式」の写真です。この地区にも多くの子ども達がいて、賑わっていたことがうかがえます。この写真もまた子どもの表情がいいですね。やっぱり「子どもは地域の宝」だと実感します。
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敷地の上に伸びる小径。
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この小径の先には小さなお店があります。小さなポストもあって、このお店が分校とともに「集落の中心」であったことがわかります。
その分校が何の痕跡も碑のひとつも残さず消えてしまったというのは、一体どれだけ集落の人たちにとっては寂しいことだったでしょうか・・・。

正直、こんなに切ない「学校跡地」に立ったことは初めてでした。
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帰り道に見上げた「活水女子大(音楽科)」。なんとなくバイエルンの「ノイシュバンシュタイン城」に雰囲気が似ています・・。こういう建築は好きですね。
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長崎市立小ヶ倉小学校のHPの中に「大山分校」へのリンクがありますが、これもまた実にさびしいものです。
しかし在りし日の校舎を少しだけ見ることができます・・・。

「大山分校思い出のアルバム」

「長崎の街で・・・」 記事一覧



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