昨年2010年にも登場した、銅座町の「南蛮船。そのかなり精巧な模型が、同町の入口アーチに据え付けられています。しっかりポルトガルの国旗マークとエンリケ(ヘンリー)航海王子を思わせる十字架が見えますね。
こういうモニュメントのようなアーチは他町には無かったように思います。
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こういうことを言うと、非常になんなんですが、長崎くんちは昔、南蛮人(ポルトガル、スペイン人)たちが伝えたカトリックに対抗したという側面がありまして、宗教色を出さず、「阿蘭陀船」「阿蘭陀万才」といった出し物にもなったたオランダ人(紅毛人)とは大きく水をあけられていました。その中でこの銅座町の南蛮船は異色の存在と言ってもいいのかもしれません・・・。

ひとつは「銅座」という名の通り、ここは昔輸入した銅を精錬する精錬所があった場所であり、つまりは「公領」或いは「天領」でした。 これはあくまで推測の域を出ませんが、そういったことで、普通の町に比べ、しがらみが少なかったことが挙げられるかもしれません。

他県から長崎に来られた方で、特に男性はここ銅座の歓楽街で飲食される方も多いかと思いますが、そこは国際色豊かだった古の長崎を象徴するひとつの場所でもあると、この「南蛮船」を見上げながら思って頂ければ一興かと思います。・・・おそらくそういう状態にはない、とは思いますが・・・^^;;;一応

2010ながさきくんち 銅座町 南蛮船




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