アトリエ隼 仕事日記

長崎の遺産とも言うべき炭鉱・教会・対州馬など、「よかもん」をご紹介いたします・・・

近江商人の「三方良し」は、世界に拡がりつつある

地元誌、長崎新聞の社説は「水や空」というのですが、今日のはなかなかいいものだったので、ご紹介いたしと思います。

近江商人の「三方(さんぽう)良し」という言葉があるそうで、商人の理念を示すものだそうです。その三方とは・・

・売り手良し  
・買い手良し
・世間良し   の三方によい影響があって初めて、商いは持続的な繁栄が可能となる。

 ↓ コラム「全米に”三方良し”求める声」

「その通り!」・・ですね。いえ、その通りになっていることは、現在の経済破綻が証明しているようです・・・。

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以前、このブログで、「浪人という名の失業者と長屋式経済」というトピックをUPしましたが、その内容とつながるように思えますので、再び紹介したいと思います・・・

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【 医療など明らかに進化発展したものもありますが、今もって尚「果たして進化(進歩)してきたのだろうか?」と首をひねらないといけないものも増えつつあるように思います。

江戸時代の資料を読むと、
『侍には浪人という名の失業者がけっこういたが、そのいっぽうで、江戸庶民の場合は、本人に働く気さえあれば、失業することは滅多になかった。』

・・・とあります。

『彼らの大半は長屋に住んでいたが、ブラブラしていれば、親代わりの大家が放っておかない。いろんなツテを頼って、仕事を見つけてきてくれたのだ。また、現在の職業斡旋所のような口入れ屋がたくさんあって、さまざまな職業を紹介してくれた。江戸の町に、それほど仕事の口が多かったのは、職業が細分化されていたからである。たとえば、現在のスーパーでは、魚に野菜、果物、肉、米、飲み物から、日常品や雑貨、衣類まで売られている。しかし、江戸時代には、4月に天秤棒をかついで商売する人だけでも、新茶売り、たけのこ売り、キュウリ売り、自然薯売り、柏葉売り、空豆売り、鰹売り、トビウオ売り、鯛売り、干しフグ売り、漬け梅売り、苗売り、麦焦がし売り、白玉餅売り、辛皮売り、孟宗竹売り、すげ笠売りなどがあった。行商だけでも、現在のスーパーで扱う商品の種類並の仕事があったのだ。』

加えて、江戸時代には商売替えをするときに、奉加帳(ほうかちょう)というカンパ金があつまってきて、金銭的にも精神的にもバックアップがあったと紹介されています。単純に今と比べることは、もちろん出来ないのだけれど、とても考えさせられることだと思いました。 】

売り手良し・・・というよりも「巨利を得た者だけが良し」のようなやり方に怒っている人は、どうやら世界中に拡がりつつあるようです。

ここ長崎でも創業者が「先義後利」を掲げた老舗が暖簾を降ろさざるをえない状況になってしまっていることは、とても悔しいし、残念としか言いようがありません。

街にはサヨナラばかり・・・長崎大丸(岡政デパート)閉店 (内部リンク)

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プロフィール:江島 達也
 長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版 
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236


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