長崎市民にとっては、「久しぶりに、お気に入りのおもしろい叔父さんが帰ってきた!」・・みたいな感じでしょうか。
トーク&ライブショーに行ってきました。前回の長崎市公会堂から10年は経っているでしょうか。でも、その10年分を数時間で笑いきった!・・くらいに終始会場は大爆笑の渦。拍手・合掌・・。本当に会場の人にとっては「親戚の鉄矢が帰ってきたてバイ!」みたいな感じなのでしょう。事実、横のおじさんはパンフレットを見ながら「鉄矢はでとらんたい」とつぶやいていました。
ライブでのトーク、普通はだんだん飽きてくるもんなのですが、鉄矢さんの場合、回を重ねるごとによりいっそうおもしろ可笑しくなってきてるからすごいです!
ひと話ごとに、手を叩いて大爆笑。そして手拍子、拍手・・・初めて「腱鞘炎」なるものになりました。
そして毎度お馴染みの武田イクしゃんの話。父ちゃんが死んだ葬式で、「煙草屋が肺ガンで死んだけん、殉職ですたい!こいが胃癌やったらかっこのつかん」・・みたいなところでは、大笑いしながら同時に泣くという感情に。長い人生生きてきて、笑いながら泣いたのは、やはり初めての経験です。
曲は「贈る言葉」「思えば遠くにきたもんだ」「スタートライン」など。あと司馬遼太郎の「龍馬へのラブレター」の朗読もあり、スペシャルな?内容でしたが、スペシャルなだけに「また、10年ぐらいは来れんかもしれんけん」という感じもして、少し寂しい気がしました・・・。
『長崎・大分両市による観光PRのため坂本龍馬ゆかりの復元帆船「観光丸」が29日、大分市に向け長崎港を出港した。長崎市出島町の出島ワーフ三角広場で開かれたセレモニーには、市民や観光客ら約300人が集まり、航海の無事を祈った。
「観光丸」の航海は、九州新幹線鹿児島ルートの全線開通による観光客の減少を懸念した両市が九州の「横軸」の連携で観光の活性化を図ろうと計画。長崎市の亀山社中記念館名誉館長で俳優の武田鉄矢さんが発案した。』
カテゴリ別アーカイブ
最新記事(画像付)
- (動画版)三池炭鉱・宮原坑において、坑底に下げられた対州馬などの坑内馬は、囚人坑夫たちの不満を抑えるための見せしめとして敢えて残虐な扱いを受けた
- 三池炭鉱・宮原坑において、坑底に下げられた対州馬などの坑内馬は、囚人坑夫たちの不満を抑えるための見せしめとして敢えて残虐な扱いを受けた
- 映画「小さな恋のメロディ」冒頭に出てくる馬のシーン
- 名馬キャリコ / バージニア・リー・バートン
- 長崎原爆投下時、疎開など人々の移動の際の主力は、馬だった
- ド・ロ神父が眠るキリシタン墓地が語りかけてくること
- 馬と人の絆のストーリー ~ 八丸 由紀子さんと馬車馬 ダイちゃん
- The priests of the Paris Foreign Missions Society, who appeared in times of hardship for Christians in Nagasaki, became "more than God".
- Les prêtres de la Société des Missions étrangères de Paris, apparus dans les moments difficiles pour les chrétiens de Nagasaki, sont devenus « plus que Dieu ».
- 長崎のキリシタンにとって苦難の時代に現れたパリ外国宣教会の神父たちは、「神以上の」存在となった
プロフィール:江島 達也
長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。29年 あさひ日本語学校・校長職を兼任。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236
以下は、すべてアトリエ隼(対州屋)のサービスです。
長崎市泉町生まれ。 私の「故郷」は戦後間もない頃造られた、お風呂もないアパートで棟の名が「隼(はやぶさ)」。それが絵師としての屋号です。群馬大学教育学部美術科卒。 大学の4年間、実にボンクラな学生でしたが、4年目は仲間と自主ゼミを立ち上げJ・デューイやM・モンテッソーリなどの教育学を学びました。この頃、前橋市内にあったフリースクール(オルタナーティブ・スクール)をつくる会などに参加しまして、この時期の様々な社会人との出会いが、その後大きな影響となりました。
包装機械メーカーの東京営業所に入社、8ヵ月後退社。平成2年より長崎県教員として県内各校に勤務しました。 平成17年末退職後、フリーのイラストレーターとして活動開始。
平成23年3月 「僕の子ども絵日記~ながさきの四季」(長崎新聞社)出版
平成24年 「長崎の坂道で対州馬の荷運び再現」プロジェクト。25年 再び長崎市で対州馬による荷運び業再開を目指し「對州屋」として活動開始。29年 あさひ日本語学校・校長職を兼任。
〒852-8065
長崎市横尾町
tek/fax095-857-5236
以下は、すべてアトリエ隼(対州屋)のサービスです。
荷運び馬復活を目指す長崎市唯一の対州馬、ひん太FBページ
坂ん街の暮らし、応援します。
馬運・馬搬・作業萬ず/
「対州屋」(たいしゅうや)
馬運・馬搬・作業萬ず/
「対州屋」(たいしゅうや)
記事検索
☆ FaceBook ☆
リンク集