浦上天主堂の石垣
中町教会
街よ、立ち上がれ!
私の出生地付近にあった、三菱兵器住吉トンネル工場
長崎市立戸町小学校被爆校舎
長崎市立城山小学校の「永井坂」
被爆時、救援の最前線となった 長崎本線・道ノ尾駅
ベアトス様の墓 ~ 私の肺胞の中に残る空気
永井 隆博士の愛児、誠一さんと茅乃さんが疎開していた家
原爆投下時、個人で医療活動を行った宮島中佐宅跡
被爆直後の写真 「さまよえる兄弟」のこと
被爆後、地獄絵図と化した長与小学校高田分校跡
やはり8月9日が近づいてくると・・・
永井博士らの第11医療隊と高見さん
全長303mの被爆建築物 - 三菱造船船型試験場
原爆資料館にはけっして展示されないもの・・・
「平和」の名を持つ保育園
常清高等実践女学校・被爆レンガ塀は、浦上に咲き続ける教育者
被爆直後、救援1号列車が最も爆心地近くまで進んだ場所
いまだに行方の知れない、山王神社一の鳥居
秋月医師らの遺志を宿す、フランシスコ病院のタイサンボク
原爆投下目標となっていた、常盤橋
三菱兵器住吉トンネル工場の地肌
原爆により倒壊、全焼した為、諏訪神社の長坂で青空授業を行った西坂小学校
多くの修学旅行生が訪れる城山小学校は被爆校で唯一、廃校が決まっていた
二本の被爆クス ~ 稲佐小グラウンドと滑石・平宗地区
我々にとってのジャングル・ジムだった ~ 瓊浦中学・被爆給水タンク
被爆後、救護所となった時津国民学校は豊かな流れのほとりにあった
戦争とは何だったのか ~ NHKスペシャル「原爆投下 活かされなかった極秘情報」
戦争とは何だったのか ~ 小長井町海岸にB-29墜落
戦争とは何だったのか ~ 一被爆女性の手記より兵隊とは何だったかを考える
長崎市民にとって、川は鎮魂の場所 ~ 下の川橋付近
長崎市民にとって、川は鎮魂の場所 ~ 浦上川一帯
長崎医科大学・角尾学長らの終焉の地であった~長崎市滑石・大神宮救護所
原爆により全壊も、職員の必死の作業で資料消失を逃れた ~ 長崎市立西浦上小学校
被爆時、時津町の主要な救護所のひとつであった ~ 万行寺
当時の原子野を彷彿させる被爆建築物 ~ 長崎医科大学・ゲストハウス
厳冬期のさなか、吹きさらしの被爆校舎で授業を続けた ~ 山里小学校旧校舎
被爆直後に撮られた、防空壕の「ラッキー・ガール」は、まったくの創作写真だった
本格的な本土空襲は長崎を含む九州北西部の工業地帯・軍事基地より始まった
今もなお 立ち続ける証言者たち ~ 長崎の被爆木に会いにゆく ①
今もなお 立ち続ける証言者たち ~ 長崎の被爆樹木に会いにゆく ②