佐世保市鹿町町(旧北松浦郡)下歌ヶ浦、本ヶ浦。今は文化会館や鹿町中学校などの文化施設が建ち並ぶ場所に日鉄鉱業の本ヶ浦(ほんがうら)坑がありました。
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鹿町中学校。辺りには炭鉱特有の炭鉱住宅であるとか、消火栓等は一切見えません。知らなければ、ここが炭鉱のあった場所だとはとうてい気付きません。
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さすがに不安になり、近くのバス停におられた年配の方にたずねてみると、やはりそうだということでした・・・。


体育館の裏手あたりに坑口があったと聞いて、行ってみましたが、無駄足でした。
そのかわり、手前の水路の中を覗いてみると、やはり石炭のかけらがいくつか転がっていました。石炭だけはそれこそ化石ですから何十年経とうと変化せずに残っています・・・
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本ヶ浦の港周辺も歩いてみましたが、やはりここにも何も残っていないようでした。しいて挙げるならば、写真の電柱はかなり古い時代の物のように見えましたが・・・。
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地元の方のお話では、本ヶ浦は鉱業所だけで、鉱員住宅などはなかったそうです。働いている人は近くの鹿町坑があった加勢地区から通勤していたそうです。
↓ 賑わっていた頃の加勢地区の施設・住宅図です。
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往時の賑わいの跡を求めて加勢地区へ向かいました。
しかし、いきなり寂しい光景を目にしました・・・
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地元で昔からこつこつと頑張ってこられたであろうスーパーが閉店されていました。どこもそうですが、
閉店を知らせる張り紙にはお客さんへの感謝のことばが書かれています。「ありがとう」と伝えるべきなのは、利用した側も一緒なのでしょうが・・・
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かつて賑わったであろう加勢地区の商店街。
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車社会がこれほど進んでも、ガソリンスタンドでさえやっていけないとは、考えさせられます・・・。
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付近に保育所がありました。さすがにここは閉鎖されておらず心底ほっとしました。少ないですが、ちらほらと子どもの姿が見えました。
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昭和18年に撮影された歌ヶ浦保育所の写真です。人が溢れ、働く母親も大勢居て、保育所にも子どもがいっぱいいた時代のものですね。
この子ども達が無事に生きていれば、70歳前後ということになります。機会があれば、ぜひまたこの地を訪れてみて欲しいですね・・・・
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「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧

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