この間、ふと「長崎のニュース00年誌」みたいなやつをめくっていると、どうも昭和40年代の長崎というのは、やたら「サヨナラ」の文字が付く記事が多いような気がしました・・。

まず41年12月には「長崎競輪」の廃止。強く廃止の意向を示してきた県と、貴重な財源として継続を望んできた市との間で、法廷闘争の一歩手前まできた競輪問題でしたが、当時の諸谷市長は17年間続いてきた競輪事業の廃止を決断しました。場所は今の松山サッカー・ラグビー場にあたります。
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続く42年8月31日、国鉄柚木(ゆのき)線が48年の歴史に幕を閉じました。
地元の柚木地区自治連合会では、翌1日、辻市長らを招き、「柚木線をしのぶ会」を開催しています。同会では、「炭鉱による繁栄期には、石炭車10両、客車2両を連結した列車が走っていた」など、思い出を語り合ったといいます。
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44年、6月30日には、大波止、旭町、西泊、水の浦を、結んだ「長崎市交通船」が45年の歴史に幕を降ろしました。
同交通船は、大正13年に、長崎市が民間から航路を引き継いで発足、一時は年間利用者が1000万人を越える時もありましたが、バス路線の充実により利用者が減少。赤字額はそれまでの10年で1億9000万円にも膨れあがっていました。「最後の陸の孤島」と言われた西泊地区にバス路線が通じたのを機に、廃止となりました。
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45年5月17日には、北松を代表する炭鉱であった、世知原町の飯野松浦炭鉱が閉山となりました。
「ついにヤマの灯が消えた。幾多の石炭不況の荒波に耐えてきた飯野松浦炭鉱(従業員1100人)は政府の石炭合理化の前に屈し、70年の歴史に別れを告げた」(記事より)
写真は坑口で最後の別れをする職員さんです。
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ちなみに昭和40年代に閉山を迎えた長崎県の代表的な炭鉱は以下の通りです。

(福島町)
・福島炭鉱 (47.11.28)
・城山炭鉱 (46.7.27)
(松浦市)
・飛島炭鉱 (44.8.28)
・土肥ノ浦炭鉱 (40.3.26)
・大葉山炭鉱 (40.10.7)
・中興江口炭鉱 (40.2.3)
・松福炭鉱 (41.12.20)
・新北松炭鉱 (44.11.19)
・神原炭鉱 (44.11.19)
(江迎町)
・日窒江迎炭鉱 (41.12.14)
・住友潜竜炭鉱 (43.2.17)
(小佐々町)
・麻生岳下炭鉱 (40.10.14)
・栄ノ島炭鉱 (42.9.7)
(佐々町)
・日鉄神田炭鉱 (41.2.7)
・新報国炭鉱 (40.8.9)
(吉井町)
・宏安炭鉱 (42.3.27)
(世知原町)
・肥前炭鉱 (41.11.11)
・第二報国炭鉱 (42.12.4)
(佐世保市)
・中里炭鉱 (42.3.27)
・山住炭鉱 (44.7.14)
・紋珠岳炭鉱 (40.6.8)
(西彼杵郡)
・大島炭鉱 (45.10.3)
・崎戸炭鉱 (43.3.26)

47年9月3日には子ども達の夏休み中の水泳教室が開かれていた「ねずみ島(皇后島)」が県の埋め立て計画により70年の伝統に幕を降ろしています。
当時小学4年生だった私も、この行事に参加しました。
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また同年3月22日には、長崎空港建設の為に大村市の簑島(みしま)で分校の廃校式が行われました。最後は6人の児童が見守る中、分校の門札が取り外されました。
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そして49年1月15日、「軍艦島」として知られる三菱石炭鉱業高島鉱業所端島鉱の閉山式が行われました。
閉山式は端島小中学校体育館で行われ、従業員と家族ら780人が出席しました。式の中では、坑内事故などで亡くなった215人の冥福を祈って黙祷が捧げられました。
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小中学校の子どもたちによって作られた「サヨナラ ハシマ」の人文字です。
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この他にもおそらくもっともっと沢山のサヨナラがありました。
46年に廃止となった国鉄臼ノ浦線(↓)や蒸気機関車などもそうでしょう・・・

 石炭積み出し港への盲腸線だった臼ノ浦線

当然なくなったものに代わって、新しいものも沢山あるはずなのですが、どうしても「喪失感」ばかりを強く感じてしまうのは、一体なぜなのでしょうか・・・・・。

「長崎の街で・・・」 記事一覧

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