原爆が落とされてから2時間半あまり、地獄と化していた浦上の地に国鉄の救援列車第1号(8両編成)が行く手を阻まれて停車したのが、長崎市清水町にある照圓寺(しょうえんじ)付近でした。
kyuuen

照圓寺の建物は爆風により、敷地にあった海軍(佐世保)警備隊もろとも倒壊し、写真に見える石造りの門柱だけが残りました。
DSCF0099


長与駅を出発した救援列車は、機関士、車掌ら10数人が乗りこみ、軌道三輪車で先行する保線区員の誘導で徐々に被災地へ入っていきました。
「もうこれ以上一歩も進めない」と停車したのがこの場所で、何回も汽笛を鳴らすと、焼けただれた負傷者たちが、はうようにしてあちこちから集まってきました。しかしホームのない土手では客車のデッキは高く、やっと辿り着いてデッキの鉄棒にぶら下がっても、そこで力つき、亡くなっていく人も多かったそうです。
DSCF0101

この後も救援列車は続き、佐世保警備隊はテントを張って救援、救護活動を助けました。
そんな光景が幻であったかのような、今の同地・・・・。DSCF0103

門柱をくぐった左側には、救援活動にもかかわらず、亡くなった多くの方の供養塔があります。

悲惨な光景を見続けてきた証人は、やがてこの門柱と説明板だけになってしまうのでしょうか・・・・
DSCF0100


「被爆のこと・遺構・建造物」 記事一覧

人気ブログランキングへ


*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は戦争の悲惨さと平和の尊さを若者や子どもたちに伝えるです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月