原爆資料館には、原爆による【爆風・熱線・放射能】の威力を示すものが沢山展示してあり、訪れる多くの方が、その恐るべき悪夢のような威力を目の当たりにし、言葉を失っているように見えます。
おそらくほとんどの方が「今の世は平和でよかった」という思いで館を後にすると思うのですが、実は資料館にはけっして陳列されない「被爆の実相」があります。どこにあるのかと言うと、それは館外の広い世の中の、人々の心の中にあるのです・・・・

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「ナガサキノート」(朝日新聞社長崎総局編) は朝日新聞社長崎総局の若手記者が被爆者の方々に対し繰り返し取材を重ねたものを同名のトピックスで地方版に掲載し、それを一冊の本としてまとめたものです。

この中に「資料館には並ばない被爆」が示されています・・・・

『 捨てられた、おすそ分け 』    米田チヨノさん(1926年生まれ)

東京の中学校で2008年9月中旬、長崎で被爆した米田チヨノさん(81)=横浜市在住=のお話を、3年生と一緒にうかがった。
 背中のやけど、将来を悲観しての自殺未遂、目の前で死んでいった肉親・・・・。米田さんは自らの体験を語っていった。そして夫の転勤で東京に引っ越して間もないころの出来事に触れた。

 1958年(昭和33年)の暮れ、夫の実家から名産のレンコンが送られてきた。早速、近所に配った。どの家も「ありがとうね」と喜んだ。
 翌朝、ゴミを出しに行くと、レンコンがすべて捨てられていた。近所の男の子が自宅にやってきた。
「おばさんももらっただろ。あれ食べると原爆がうつるからだめだよ。死ぬから」。
近所に被爆者だと話したこともなく、ただただ驚いた。
「原爆に関係ないレンコンだから。原爆もうつらないから」。
そういうのが精いっぱいだった。
 以来、長崎から蜜柑やかまぼこが届いても、二度と配ることはなかった。
・・・・(以下略)

これが、資料館に並ぶことのない「被爆」のほんの一部です。

原爆投下から13年もの月日が流れ、その間原爆や水爆の核実験を太平洋上で繰り返していたアメリカ政府と日本政府の間で、「放射能の人体への影響」に対する真実は、社会に晒せない状況であったとは言え、まだこの時代においても「原爆が感染する」という根拠のない差別が人々の心を満たしていた、という事実には愕然とします。
今、福島第一原発の風評被害に苦しむ人が毎日のように報道されている現代において、今の中学生たちが、この話を聞いたとしたら、どう聞こえるでしょうか?そして、どう考えるでしょうか・・・

多くの被爆体験講話の中に出てくる言葉の中に、「人の命や人生を奪った戦争は憎い。でも原爆をつくり出した人間の心がもっと憎い」・・・というものがあります。

東京の中学生たちに被爆体験を話した米田さんは、原爆直後の地獄のような体験とその後の長い差別に晒された年月のどちらが辛かったのであろうか?・・・と考えるとやるせない気持ちになります。

これから「原爆と戦争」について学んでゆくであろう未来の子どもたちには、資料館の展示物だけでなく、人の心の中に遺っている「被爆の(戦争の)実相」というものも是非併せて学んでいってほしいですね。

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*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は戦争の悲惨さと平和の尊さを若者や子どもたちに伝えるです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月