正直、新しく造った「箱モノ」は好きではありません。(でも年に数度は行く・・)

しかし、佐世保市にある「ハウステンボス(名将はオランダ・ベアトリックス女王が住む宮殿名からとった)」は、長崎の歴史と併せて考えるとき、ちょっと意味があるのかなぁ・・と思ってしまいます。

ご存じのように長崎・出島は鎖国時代における海外との窓口だったのですが、その歴史を振り返ると、最初に入居?したポルトガル人たちはわずか3年あまりでここを出ることとなり、その後200年にわたり、この狭苦しい造成地にいたのはオランダ人たちでした。(1641~1859)
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17世紀初頭には東アジアやアメリカ大陸などに広大な領土を保有する「海上帝国」となっていたオランダ。本来であれば、日本に武力で圧力をかけ、開国・通商させるぐらいのことはできたのかもしれません。
しかし、200年間主だった争議もなく、貿易拠点としての役割を果たし、日本の近代化にも大きく貢献しています。その背景にはオランダの歴史そのものが大きく関与しているようです・・・


オランダの歴史は16世紀に始まった80年にも及ぶスペインからの独立戦争に始まり、以後も戦争の連続でした。特に3次にわたるイングランドとの「蘭英戦争」では、次第に劣勢に追い込まれ、国力を弱める結果となっています。

ハウステンボスの「帆船資料館」には、第3次蘭英戦争における「テッセル沖海戦」をジオラマで再現しています。この海戦では、小型のオランダ艦隊が老将デ・ロイテルの指揮のもと、大型艦をそろえる英仏連合艦隊をオランダ・テッセル沖で撃破していますが、オランダ海軍の華々しい攻勢はこの時ぐらいで、海戦を繰り返す度にオランダは劣勢に立たされていきます。
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結果的に海外領土のほとんどをイギリスに奪われたオランダは、1806年から1810年の間、ナポレオンのフランス帝国に併合され、国家は事実上消滅しています。フランスからの復帰後、1825年にイギリスと交わした条約では、オランダの海外領土は、インドネシアとスリナム、そして(領土とは言えないかもしれませんが)この出島だけとなっていました。

しかし、出島を通じて「蘭学」として我が国に果たしたオランダの役割は、大きなものがあり、その功績は日本各地に広がっていったことは周知の事実です。(長崎でのハルデスの活躍)
オランダ語を起源とする外来語、「ビール」「コップ」「ランドセル」「ブリキ」などは今でも私たちの身の周りにある言葉ですし、鉱山での照明器具の名「カンテラ」もオランダから来たものですね。
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その後、日本とオランダには太平洋戦争などの歴史もありましたが、そういったものを乗り越えて今、長崎の佐世保に「オランダの町並みを忠実に再現した場所」があるということは、意義深いものを感じますね・・・。
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西海市にかつてあった「オランダ村」は今や完全に廃墟となっていましましたが、最近同市が公園として整備を始めたようです。
かつての出島とはいきませんが、オランダや海外からの若いアーチストがアトリエとして格安で利用できるなどの再利用を考えるのも悪くないかもしれませんね・・・。

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