戦争や核については、夏のこの時季だけに考え学習するものではないと常日頃から心がけていますが、やはり8月に入ると自分の中の「何か」が変わってくるように感じます・・・
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そしてやはり、今年ほど「放射能」というものを意識する年もありません・・・・

今、「福島第一原発」を「爆心」として、放射能の恐怖が広まりつつあるようです。それは農作物や畜産物、魚介類などの流通しての拡散、或いは海流の流れや風雨に伴うものとして全国に浸透していくことを警戒しているように見受けられます。その中には「多くの誤解や偏見」が含まれているとしても、多くの保護者が憂うのは、「我が子、次世代の子どもたちに、禍の連鎖を背負わせてはいけない」という強い使命感があることも否定はできないでしょう・・・

今年訪れた原爆資料館では、「保護者の子に対する思い」というものを示すものがことさら重く見えました。

「お弁当箱の中で炭化したご飯」。朝、母親が作ったであろう、このお弁当を食べることなく、持ち主の少女は運命の11時2分を迎えています。女子報国隊として軍需工場に赴いていた多くの少女たちは、その後どんな過酷な運命をたどったのでしょうか・・・
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資料館に展示してある物の多くが、親族が形見として保管していたものを寄付したものであったという事実を考えると、これらの物は収蔵されなかった膨大な遺品の中のほんの一部にすぎないということがわかります。

この幼児服も亡くなった我が子の形見として母親が長く保管していたものです。
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「わが児を胸に救護所を探す人」
幼子を抱いたこの父親は、自分も相当な負傷をしていますが、腕の中の子どもの様子だけに神経を集中させていることが伝わってきます。心中、必死に祈るばかりであったことでしょう・・・
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かろうじて生き延びた人たちにとっても、その思いは一緒であったようです。
永井隆博士はその著書「この子を残して」の中で、もう自身が余命幾ばくもないと知りながらも、幼い我が子を痛切に憂う心情を著しています。

『 この子を残して 』、「初旅」より抜粋(誠一とカヤノは大村にいる神父さんの所に衣服をつくってもらうことになり、二人で出掛けます)

・・・「行ってきます」 
二人は手をつないで出ていった。
「カヤノ、ちょこちょこ走るんじゃないよ」と私は床の中から叫んだ。しかし、二人はもう走り出してしまって、返事はなかった。
 私はロザリオを取り出し、爪繰りながら二人の初旅の平安を聖母に祈った。こんな短い旅にさえ、これほど騒ぐのも、親だからであろうか?信仰が足りないからであろうか?
 ふと思い出した。7時発上り列車は買い物客が多く、ときどき積み残しがあるとの噂を。それなら8時発のにすればよかった。あの狭い乗降口に押し合ったら、カヤノはひとたまりもなく圧しつぶされてしまう。つぶされないまでも、プラットホームと車との間へ下駄を落としたり、小さい身体が落ちこんだりするかもしれぬ。すっかり乗り切れずに、ぶらさがったまま発車したら・・・・・・大橋の高い鉄橋で-? ああ。
(中略)
お金をすられやすまいか?お弁当を盗まれやすまいか?カヤノは目が利くから、兄さんが切符を買っている間にも、ちゃんと目を光らして番をしているだろう。しかし、もしそこへチンドン屋が来たら・・・・・・?こんな朝早くからチンドン屋が来るものか。
 汽笛が鳴った。時計を見る。7時15分。定時発車だ。事故はなかったのだな。積み残しのあるほどの人出だったら、1分か3分は遅れるはず。大丈夫だ。 -けれども、子供が1人ぐらいけがしたって発車は遅れまい。もしけがをしていたら、停車場から電車で来て15分、15分以内に急を告げて来なかったら初めて安心できるわけ。
その上り列車が丘の向こうを平気な音を立てて過ぎていった。・・・・

博士の不安と動揺はこの後もずっと続いていきます。
博士はこの数年後二人を遺し、この世を去るわけですが、存命中の毎日をこのような思いで過ごしていたのか、と考えると心中察するに余りあるものがあります。

資料館の中に移設された旧浦上天主堂の被爆遺構。
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まだそのままの被爆地にあったころの同遺構で撮った誠一さんと茅乃さんの写真です。
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「平和学習」や「核についての学習」は被爆地周辺や資料館の中だけにあるのではなく、むしろそこから同心円上に広がっていった全土にあると考えるべきなのでしょう。
今回の大震災による福島第一原発事故は、今あらためてそのことを教えてくれている気がします・・・・

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*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は戦争の悲惨さと平和の尊さを若者や子どもたちに伝えるです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月