かつての石炭の積み出し港であった臼ノ浦港(旧北松浦郡小佐々町)へと向かう臼ノ浦線と松浦線の分岐跡(北松浦郡佐々町)。
DSCF8130

今からたった40年前には、この場所に、黒い煙を吐きながらばく進している蒸気機関車の姿がありました・・・・
臼の浦線分岐560

右手後方に見えるのが、18両もの蒸気機関車を保有していた旧国鉄松浦線佐々機関区の車両基地です。

かつて多くの炭鉱で沸いた北松・佐世保を象徴するかのような、この力強い姿も、昭和46年9月30日を最後に見られなくなってしまいました。

佐々機関区は昭和20年3月に開設された機関区で、戦中・戦後を通し、この地に多くあった炭鉱地帯の石炭や旅客の輸送に大活躍しました。
写真は昭和46年に撮影された車両基地で、6両の車輌を格納できる扇形車庫と転車台(ターン・テーブル)を持っていました。
4両の客車を連結した蒸気機関車が写っていますね。
佐々転車台561

このあたりの地形ははげしく変わってしまい、その跡をとどめるものは何もありません。左手奥に小さく写っているのが、松浦鉄道の佐々駅と車庫です。
DSCF8131

佐々駅方面から臼ノ浦線の分岐を見た図です。正面の山を右に迂回すると、臼ノ浦港へと向かいます。辺りは一面、水田が広がるばかりです・・
DSCF8132

昭和46年のSL廃止は、この地の石炭産業の終焉を同時に表しており、以後動力車は、ディーゼルに切り替えられていきます。また、人口流出と相まって車輌編成の小型化も進行しました。
写真はキハ02系の単体車輌で、「レールバス」と呼ばれたディーゼルカーです。多くの炭鉱が閉山した後、臼ノ浦線、柚木線、世知原線などではこういった車輌が細々と走っていましたが、国鉄の赤字解消事業が進む中で、これらの車輌も姿を消していきました。佐々レールバス564

写真は佐々駅を発車し、松浦方面に向かってばく進する8620型SLです。内側に熱いものを秘めているからこそ、もうもうと黒煙を上げる蒸気機関車、特に空気の冷え切った時にこそその煙や蒸気は高く舞い上がります・。その姿は何だかヒトの姿にも似ている気がします・・・・
18両もの蒸気機関車たちは、その後どうなってしまったのでしょうか・・?
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*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は衰退しつつある、故郷・長崎の良いもの未来に向けて、広く伝えるです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月