松浦市今福町仏坂(ほとけざか)免にあった榎山(えのきやま)炭鉱。資料には操業開始昭和28年、閉山同37年とありますが、この地には古くから炭鉱が開かれており、その場合は「榎木山炭鉱」(大正6年操業開始)と呼び前者と区別しているようです。
写真は大正末期に撮影されたものですから、榎木山炭鉱と表記されていた時代のものだと思います。よく見ると斜坑のようなものや積み出し桟橋に横付けされた鉄鋼船が見えますね・・・
今福榎山523

現在の同地です。昔の炭鉱写真は見晴らしのいいボタ山の上から撮ったものが多く、同じ角度で撮影された場所を見つけることができなかったのですが、あきらかに異なっていることだけはおわかりかと思います・・・
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閉山から50年弱。地元の人が言われるように、炭鉱時代の面影はまったく残っていません。あえて挙げるならば、このかつての職員住宅街に残された「仏坂住宅」と書かれた掲示板ぐらいなものでしょう。
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これは昭和57年に撮影された航空写真です。閉山後20年が経ち、既に炭鉱の面影は無くなっているようですが、わずかに炭鉱住宅なども残っているように見えます。
画面右下には今春閉校となった「松浦東高校」の前身である「松浦園芸高校」の旧校舎が見えますね。(松浦園芸の前は、北松農業高等学校今福分校、その前は北松高等学校今福分校と呼ばれていました)
今福中、今福小も木造の旧校舎のようです。(クリックで拡大)
松浦今福510

現在でも今福川の河畔には、それらしき住宅が数棟残っています。詳しいことはわかりませんが、いずれにしても炭坑時代に建てられたものでしょう・・
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大正末期に取られた写真ですが、榎木山炭鉱のボタで埋め立てをした赤松新田と呼ばれる場所です(現在の浦免)。上の地図でもわかると思いますが、現在はその場所に今福中学校が建っています。
今福港532

赤い屋根の向こうが今福中学校の敷地です。
地元高校が閉校となり、一段と寂しくなった同町ですが、古くは宝暦9年(1759)から掘っていた数々の炭鉱(立岩、野々田、釘原、飛島、深底、金井、札本、大明神山下、赤岩、船原、土肥浦、大辻、ふうづき谷、麻畑、金居、瀬戸口、仏坂山、谷山、赤岩山、岳、トッポウ山、小熊山、湯牟田山、氏名志山、戸野下山・・・・等)の鉱員さん達の苦労の象徴であるボタの上に建つ校舎で、健全にたくましく育っていって欲しいものですね。
そしてまたこの地に賑やかな繁栄が戻ってきますように・・・・
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「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧

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(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月

*記事をご覧の皆様へ

皆様の心の通い合ったメッセージを拝読するたびに、「この記事を書いてよかった」と胸があつくなります。
やはり、故郷というものは、誰にとっても忘れることのできない、永遠のものであるということを教えてもらいました。
拙い記事ですが、これからも少しでも、皆様の旧交をあたためる場になれば幸いと願っております。
もし当時のお写真とか、記録など、何でもどういったものでも構いませんので、ございましたら、管理者まで、ご送付いただければ、記事の中に付け加えさせて頂ければと思っております。
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