現・三菱重工長崎造船所の前身である長崎製鐵所を建築するために長崎海軍伝習所がオランダから招聘した技師団37名の主任技師であったのが、オランダ海軍機関士官ヘンドリック・ハルデスでした。

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ハルデスら一行が長崎に到着したのが、安政4年(1857)のことでした。約200年間(1641-1859)出島に居留を許されていたオランダですが、その間4次に渡るイギリスとの戦争で完全に衰退し、1806年から1810年まではフランス帝国に併合されたりと、大変厳しい国情が続いていました。
1825年にイギリスと条約を結んだ時には海外植民地のほとんどをイギリスに奪われ、残っていた海外領土はインドネシアとスリナム、そして長崎の出島のみとなっていました。
ナポレオン戦争終結後、やっとネーデルラント連合王国として再出発していたオランダにとっては、出島のある長崎への技術協力は、国力を再結集させるためのまたとないチャンスであったことでしょう・・・。


1860年に撮影された長崎市飽の浦(あくのうら)に建設中の長崎製鐵所の写真です。もともとこの地は沼地でしたが、ハルデスらはここを艦船修理工場の適地として選び、日本人作業員を使って辛抱強く土地の造成から地盤固め、レンガの焼き方と丁寧に指導したと伝えられています。
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この時ハルデスが指導したレンガづくりが、日本で最初の建築用レンガの始まりと言われていますが、その当時のレンガが対岸、小菅(こすげ)修船場に残っています。
小菅修船場は元海軍伝習所生だった薩摩藩の五代才助が同藩の小松帯刀(たてわき)らに協力をあおぎ、またトーマス・グラバーの出資を得て明治元年(1868)に完成させた日本初の洋式造船所(ドック)です。
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現在の小菅修船場です。(もちろん現在は使われていません)正面に見える建物が艦船を引き揚げるための蒸気機関がおさめられている機械室です。
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これがハルデスらの焼いたレンガです。建物用としては日本最古のものです。今のレンガより厚みがなく、形が似ていることから「こんにゃくレンガ」とも呼ばれています。
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角がすり減って丸くなっています。所々○に I の字の刻印が見えます。これはレンガを焼いた場所の刻印だと思いますが、窯は製鐵所を建設した場所の近くである岩瀬道(いわせどう)にあったらしいので、I の字はその頭文字の I かもしれませんね。
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かつての宿敵同士であったオランダ人ハルデスが作ったレンガ建物の中に、イギリス(スコットランド)人グラバーの取り寄せた蒸気機関が収まっている、というのも何ともおもしろいものですね・・・
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「世界は神が作った。でもオランダはオランダ人が作った」の言葉が示すように、その国土の4分の1を干拓によって作りだしてきたオランダ。浦上村飽の浦が、たとえ人もまばらな沼地であっても、ハルデスらにとってはなんということもなかったのでしょう・・・。そしてまた苦難の歴史を背負ってきたがゆえ、辛抱強く工事を完成させることができたのではないでしょうか・・・。

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