「名犬ラッシー」と言えば、幼少の頃、白黒テレビで観ていたドラマ・シリーズというイメージなのですが、調べてみると1957年から1966年にかけてアメリカで制作されたテレビ・シリーズ(派生作品)の遅れ?放送だったのだ、とわかります。
そしてそれは、戦後急激に日本に入ってきた「アメリカ文化」そのものであり、画面に映し出される広い庭付きの一戸建て住宅とやさしく穏やかな両親のイメージは、風呂もない古いアパート暮らしだった当時の私には、大変まぶしく見えました。
ですから、私の「コリー犬」のイメージは、その後ずっと「お金持ちのお屋敷の人が買う犬」・・・というものでした。
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しかし、この「名犬ラッシー (原題 Lassie - come home)」は、イングランド中部の炭鉱町を舞台として生まれたものであり、貧しい小さな炭鉱町でなければ生まれてこなかった・・・と言うべき物語でした。
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原作者エリック・ナイトはイングランド・ヨークシャー出身のアメリカ人であり、「 Lassie - come home 」は1938年に米、サタデーイブニングポスト誌上に初めて発表されました。
その後何度もドラマ化や映画化されましたので、その後段々とアメリカナイズドされていったようですね。

しかし原作は、皆さんもご存じかと思いますが、ラッシーを飼う少年の父親が働く炭鉱が閉鎖されたために、お金に困り、ラッシーを手放してしまう・・・というものです。
つまりお金の為に飼い犬ラッシーを売らざるをえなくなる、という設定や北部スコットランドの富豪が連れ去ってしまう、という設定もこの時代のイングランドの炭鉱町でなければ成立しなかったということです。

「Lassie-come home」は、ナイト自身が飼っていた犬が旅行中行方不明になり、1か月後傷だらけでやせ衰えて帰ってきたという実体験を子ども向けの作品にしたものですが、その生涯は「ラッシー」の物語そのものであるかのような、苦難に満ちたドラマチックなものでした。かいつまんで紹介します。

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1897年4月10日 イングランドのヨークシャー、メンストンで4人兄弟の三男として生まれる。

1899年 2歳 父が、商用で出かけた南アフリカで死去。裕福な暮らしをしていた一家は、たちまち貧乏のどん底に突き落とされた。

1900年 3歳 母はロシア皇女の子供達の住み込み家庭教師の職を得て、一人でペテルブルグ(現サンクトペテルブルグ)に旅立つ。兄弟は親戚の家に預けられて離れ離れになった。エリックは、その後、イギリス各地の親戚の間をたらい回しにされ、最終的にはヨークシャーの工業町で荷馬車屋をしていた伯父のもとにひきとられた。

1909年 12歳 伯父が死去。ヨークシャーに住む別の親戚の家に移された。半日は学校に行き、半日は糸巻き工として織物工場で働く。

1910年 13歳 学校をやめ、フルタイムで働き始める(2年間)。製鉄工場、紡績工場、毛織物工場、製材所、ガラス工場などで、さまざまな仕事をした。工場で経験した事や、見聞きした事が、後年小説を書くようになってから生かされた。

1912年 15歳 アメリカへ渡っていた母に呼び寄せられ、アメリカへ移住する。二人の兄も合流していて(弟は6歳で死去)、12年ぶりに一家そろってフィラデルフィアで新生活を始める。フィラデルフィア・サン新聞社で雑用係をつとめながら、ケンブリッジ・ラテン語学校やボストン美術学校で学ぶ。

1914年7月28日 17歳  第一次世界大戦が勃発する(~1918年11月11日)。イギリスへの愛国心にかられ、学校をやめ、志願してカナダ軽歩兵隊に入る。イギリスで受けた訓練の粗暴さから軍隊に嫌気がさし、フランス戦線に送られた時には、ほとんど戦意をなくしていた。精神的に打ちのめされて、アメリカへ帰る。

1917年 20歳 結婚する。三人の娘をもうけたが、後に離婚。

1918年6月 21歳 アメリカ陸軍に入っていた2人の兄が、フランス戦線で戦死。母は激しい悲しみのために、後を追うように死去。

1932年 35歳 女流作家のジェレと再婚する。小説を書き始める。
   
1938年12月17日 41歳 『名犬ラッシー』の前身となった短篇物語を、週刊誌「サタデー・イブニング・ポスト」に掲載。この物語は、飼っていた雌のコリー犬トゥーツが、ドライブ旅行の途中で迷子になり、一カ月以上もたってから、自力で戻ってきたという出来事を元にして書かれた。後に知人にすすめられて、子供向きの長篇に書きかえた。
  
1939年9月3日 42歳 第二次世界大戦が勃発する(~1945年9月2日)。
唯一の児童書『名犬ラッシー』(原題:Lassie Come-Home)を出版、大好評となる。
        
1942年4月 45歳 ハリウッド時代の知人に協力を求められて、アメリカ軍特務部門の映画部隊長に任命される。これは、ヨーロッパ戦線に派遣されるアメリカ兵のために、同盟国への理解を深めるパンフレットを作ったり、戦争ドキュメンタリー映画をつくる仕事だった。

1943年1月15日 米軍輸送機でエジプトのカイロへ向かう途中、南米のオランダ領ギアナ(現スリナム共和国)で飛行機が墜落して死去、享年45歳。
『名犬ラッシー』原作のアメリカ映画「家路」が公開され、大ヒットする。

幼い頃から親戚の間をたらい回しにされ、自分の家族とも縁の薄かったエリックの生涯を振り返ると、確かに飼い犬トゥーツの生還は、エリックにとって最も感動的なことだったことかもしれませんね。そして『名犬ラッシー』のヒットはやはり彼の人生におけるハイライトでしょう・・。
物語の中では「トゥーツ」は荷車を引いて国中を歩きながら焼き物を売る善良な男、ローリーの飼い犬の名として使われています。芸をして主人を助けるこの犬は強盗から殺されてしまう、という設定になっていますが、ここにもナイトの思いが込められているような気がします・・・。

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日本にも最近では炭鉱博物館などが出来ているようですが、ラッシーの故郷、ヨークシャーのウェイクフィールドには、「国立炭鉱博物館(National coal mining Museun for England)」というものがあるようです。
同博物館の竪坑やぐらです。日本のものと酷似していますね。おそらくイングランドの炭鉱設備デザインがそのまま日本へ入ってきているケースも多いのだろうと思われます。
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http://www.ncm.org.uk/default.asp

ちょっとサイトを覗いてみますと、日本の多くの博物館・資料館と違うのは、入館が無料で年中無休ということ。
それから地下400m下まで行けるツアーがあったり、大人も子どももゆっくり楽しめそうな施設・企画が多そうだと言うことです。
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日本のようにただ展示して、なんとなくわびしさが漂う・・というものでなく、むしろ体験や活動を通して、炭鉱をこれからの指針として見直し、役立てていこうとする空気が感じられますね。
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「名犬ラッシー」の中に出てくる、炭鉱住宅街のあたたかい仲間や善良な行商人、なども物語の背景としては重要な要素となっていることは、言うまでもありません・・・。
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軍艦島ツアー・ガイドをしていた時にイングランドから来たという若者に、「炭鉱と言えば、有名なラッシーは炭鉱町の話じゃないか!」と突っ込むと、その若者は(英語で)「おっちゃん、そのトピックを話すにゃ、オレは若すぎるぜ、メーン!」・・・と返ってきました。もしかすると、欧米では日本ほど「ラッシー」はポピュラーではないのかもしれませんね。
でも原作は、ぜひとも子どもに読んで聞かてほしい作品だと強く思うのですが・・・・

National Coal Mining Museum for England

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