国道18号線小佐々町・岳下バス停付近を走っていると、明らかに「??」と思うような構造物をくぐります。それは写真のコンクリートの陸橋みたいなものなのですが、実はここ海岸線に近く、向かってすぐ右側は海であり、陸橋の存在する意味がわからないからです。

これが岳下(たけした)炭鉱の遺構であり、陸橋は石炭を船に積み込むためのもの・・・と考えるとこの遺構の存在理由は明白になります・・・。
この地における石炭採掘の歴史は明治時代末期からのようですが、なにしろここは湧き水が多く、いろんな人が採掘を試みては、湧き水の為に事業断念に追い込まれています。
本格的な採炭が始まったのは福岡県飯塚市に本社を持つ、麻生産業が買収した昭和4年からですが、その麻生をしても、ここの湧水には手を焼き、昭和11年、同15年事業中止となっています。
世が平和な時代であったら、ここは永遠に草木に埋もれていったところですが、戦局悪化に伴い当局による麻生産業への「石炭増産命令」が下り、再開発を余儀なくされています。

岳下に残る遺構です。湧水と闘い続けてきた結果か、現在でもかなり頑強そうな施設が残されています・・・
戦後、昭和27年には坑内ボーリング中に水面下711mから39℃の温泉が湧出していますが、炭鉱にとってはこれもただの厄介者で、すぐにボタで埋められ放棄されました。
その後、30年代に入り安定した出炭を続け、最盛期で鉱員400人、職員100人を数える程となりましたが、経営悪化により30年末には在籍鉱員数も半減し、筑豊の麻生吉隈鉱や麻生山田鉱へと移っていった約30名を除いた全ての鉱員さんが退職となりました。40年5月に閉山を迎えています。
鉱業所や住宅があったであろう場所には、草が生い茂り、当時の賑わいを思わせるようなものは、なにひとつ残っていません・・・

すべては人々の記憶の中に残っているだけです・・。

*記事をご覧の皆様へ
皆様の心の通い合ったメッセージを拝読するたびに、「この記事を書いてよかった」と胸があつくなります。
やはり、故郷というものは、誰にとっても忘れることのできない、永遠のものであるということを教えてもらいました。
拙い記事ですが、これからも少しでも、皆様の旧交をあたためる場になれば幸いと願っております。
もし当時のお写真とか、記録など、何でもどういったものでも構いませんので、ございましたら、管理者まで、ご送付いただければ、記事の中に付け加えさせて頂ければと思っております。
メールでしたら、
hayanusa_ap_3@yahoo.co.jp
まで
ラインでしたら、管理者 江島のラインまで、送って頂ければと思います。
携帯電話番号は 090-8838-6389 です。
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皆様、どうぞよろしくお願いいたします。


「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧

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本格的な採炭が始まったのは福岡県飯塚市に本社を持つ、麻生産業が買収した昭和4年からですが、その麻生をしても、ここの湧水には手を焼き、昭和11年、同15年事業中止となっています。
世が平和な時代であったら、ここは永遠に草木に埋もれていったところですが、戦局悪化に伴い当局による麻生産業への「石炭増産命令」が下り、再開発を余儀なくされています。

岳下に残る遺構です。湧水と闘い続けてきた結果か、現在でもかなり頑強そうな施設が残されています・・・
戦後、昭和27年には坑内ボーリング中に水面下711mから39℃の温泉が湧出していますが、炭鉱にとってはこれもただの厄介者で、すぐにボタで埋められ放棄されました。
その後、30年代に入り安定した出炭を続け、最盛期で鉱員400人、職員100人を数える程となりましたが、経営悪化により30年末には在籍鉱員数も半減し、筑豊の麻生吉隈鉱や麻生山田鉱へと移っていった約30名を除いた全ての鉱員さんが退職となりました。40年5月に閉山を迎えています。
鉱業所や住宅があったであろう場所には、草が生い茂り、当時の賑わいを思わせるようなものは、なにひとつ残っていません・・・

すべては人々の記憶の中に残っているだけです・・。

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皆様の心の通い合ったメッセージを拝読するたびに、「この記事を書いてよかった」と胸があつくなります。
やはり、故郷というものは、誰にとっても忘れることのできない、永遠のものであるということを教えてもらいました。
拙い記事ですが、これからも少しでも、皆様の旧交をあたためる場になれば幸いと願っております。
もし当時のお写真とか、記録など、何でもどういったものでも構いませんので、ございましたら、管理者まで、ご送付いただければ、記事の中に付け加えさせて頂ければと思っております。
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