旧北松浦郡小佐々町の臼ノ浦港と各炭鉱を結んでいた佐世保軽便鉄道臼ノ浦(うすのうら)線は大正9年に開通した柚木(ゆのき)線に遅れること11年、昭和6年に臼ノ浦~実盛谷(さねもりだに)間が開通し、佐世保市内や柚木・大野の炭鉱地帯とつながりました。その後翌12年に佐々~実盛谷間が開通し、世知原や江迎・佐々の各炭鉱地帯と接続されています。

ちょっと大ざっぱな図ですが、かつての佐世保軽便鉄道(後の国鉄松浦線、MR)はこのような配置になっていました。カラーの部分がいずれも廃線となっています。全ては掘った後の石炭を北九州や関西に送る積み出し港、相ノ浦港と臼ノ浦港に接続することが目的であったわけです。
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従って現在の松浦鉄道(MR)は、かくも蛇行した路線となったわけですね・・・
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現在、旧・臼ノ浦駅舎は「港町公民館」としてリフォームされていますが、ちゃんと残っています。看板に示してある通り、利用客減のため昭和46年12月26日をもって廃止となっています。
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昭和46年、臼ノ浦線運行最後の日に、臼ノ浦駅にて撮られた写真です。
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駅前の広場、階段はそのまま駅の雰囲気を残していますね・・・
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その臼ノ浦駅の先、臼ノ浦港にはこういう風景がありました。写真は昭和35年に撮られたものですが、軌道の脇にドロップされた石炭が幾つも山を作っているのがわかります。機械化が進む前は、こういった石炭を船に積み込むのは「ゴンゾウ」と呼ばれた労働者たちであり、従って多くの人口を抱え町も賑わっていたわけですね。
小佐々臼ノ浦港036

現在の臼ノ浦線の跡。左側が軌道があった場所です。軌道の拡幅工事をした昭和19年に佐世保軽便鉄道時代にこの沿線にあった「肥前黒石駅」と「大悲観駅」は廃止となっています。
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佐々川を越える臼ノ浦線の鉄橋跡ですね。この辺りは河口に近く川幅も広いので、当時としては難工事だったことでしょう。
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「見返橋付」近で今も見ることができます・・・
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この鉄橋跡の近くには、臼ノ浦線の分岐跡がはっきりと残っています。
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写真は昭和46年に分岐近くを走る蒸気機関車C-11の姿です。石炭を燃やして走り、多くの乗客や石炭を輸送した蒸気機関車もこの年の9月30日をもって松浦線から姿を消しています・・・
臼の浦線分岐560

上の写真の後方に小さく写っているのは、佐々機関区の扇形車庫です。佐々機関区は昭和20年7月に開設され、一時期は18両もの蒸気機関車を保有していました。まさに北松・佐世保がもっとも栄えていた時代を象徴していますね・・・。
佐々転車台561

かつてもうもうと黒煙を吐いてSLが走った道も今では軌道が外され、近所に住む方の散歩道・・といった感じになっています。「青い空にもうもうと立ち上る黒煙」を想像しながら、こういう道を散歩するのもいいかもしれませんね・・・・。
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*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は衰退しつつある、故郷・長崎の良いもの未来に向けて、広く伝えるです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月