炭鉱とともに発展した学校というのは、増える時はいいのですが、閉山となると、次にくる人口激減とともに一気に寂しくなってしまうので、より切ない感じがします。

北松浦郡鹿町(しかまち)町長串(なぐし)免(現・佐世保市)にあった神林(かんばやし)小学校は明治35年1学級25名でスタート。神林炭鉱が操業を開始した31年の翌年昭和32年には15学級682名を数えていますが、37年3月同鉱閉山直後に児童数は半減、同45年には6学級109名となり、翌46年歌が浦小学校に統合され閉校となりました。
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・・・草深い中に校門だけが残っており、ここに神林小学校があったことを、かろうじて今に伝えています。

在りし日の神林小学校での運動会の写真です。モノクロの写真は薄ぼやけていますが、活気が伝わってくるような気がします・・・
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現在の校地跡です。一致するものは、山の稜線だけですね。全ては静まりかえっています・・・
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神林炭鉱の炭鉱住宅と神林小学校(左上)の俯瞰図です。国道沿いに炭住や商店らしきものが建ち並んでいるのがわかります。
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敷地に残されていたもので、学校とつながりのあるものと言えば、この2脚の椅子だけです。このタイプの椅子は年代を考えると、導入された直後と思われるのですが、もしかするとゲートボール用にどこからか持ち込まれたものかもしれません・・・
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神林小学校は珠算の盛んな学校であったようです。34年県下珠算大会で団体優勝。35年北松地区珠算大会で優勝。36年西九州珠算大会で準優勝。同年北松地区珠算大会で優勝・・・という成績をおさめています。しかし、翌37年の閉山以後はやはり振るわなかったようです・・
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写真は向かって左側の門柱です。

その背面には「 昭和33年9月10日 運動場拡張記念 神林小学校PTA 」と刻まれています。記録によると前年32年3月に「PTAの奉仕作業により学校造林地1ヘクタールに植林を実施とありますので、おそらくこの運動場拡張作業もPTAの奉仕作業によるところが大きかったのではないでしょうか。
そしてその奉仕精神が子どもたちに伝わったのか、3日後の33年9月13日に「NHK唱歌コンクール北松予選」において見事入選をはたしています。この時の生徒・保護者・学校職員のよろこびはいかほどのものだったでしょうか・・!
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4枚上の古い写真には見られないのですが、現在敷地の道路寄りには大きな楠の木が何本も立っています。もしかすると「32年にPTAで植林した」というその楠の木が閉校後40年あまり経つ間にここまで大きく成長したのかもしれません・・・。
だとすると、この楠の木のある風景は大変感慨深く見えてきます・・・・。
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場所は現在の神林簡易郵便局のすぐ裏手になります。

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