蔭ノ尾(かげのお)島・・・。今ではその存在すら知らない人も多いのではないかと思います。蔭ノ尾島は、三菱重工香焼工場の100万トンドックが鎮座する辺りにあった小島です。もともとはかくれキリシタンの時代より多くのカトリック信者が生活し、信仰を守り続けてきた小さな島でした・・・・

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現在の航空写真と見比べると、ほぼ島が消滅していることがよくお解りかと思います。
わずかに蔭ノ尾島の北端、「長刀(なぎなた)鼻」と、その左の「忠ェ門落シ鼻」だけが、かろうじて確認できます・・・


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三菱重工がこの地を買収したのは昭和42年のこと。その前には昭和11年に松尾造船を買収した川南造船川南工業-香焼島造船所)が進出し、巨大なドック等の施設を建設しています。同造船所は「タロとジロ」で有名な南極観測船「宗谷」などを建造し、19年には日本一の造船実績を記録しています。
画像は香焼島(手前)と埋め立てでつながった蔭ノ尾島(奥)ですが、このキリシタンの静かな島に日本最大の造船企業がやってきたわけですね・・・
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対岸、神の島から見た図です。赤と白に塗られたアーチ状の構造物は、100万トンドックのクレーンです。その手前のこんもりした緑の部分が蔭ノ尾島の「名残り」です。
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海岸に残っている石垣は外国船に備えるための長刀台場跡です。長崎港から目と鼻の先にあるこの島は守りの要衝でもあり、古くは文化5~7年に(1808~1810)に台場が建設されています。
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名勝図、「沖7所お台場図」では、6番長刀岩、7番陰ノ尾として描かれています。
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7番陰ノ尾台場があったと考えられている場所は「忠ェ門落シ岩」と呼ばれる断崖です。その名の通り、江戸時代におけるキリシタン弾圧の際、忠ェ門という信者を突き落としたことからこの名がついたという伝説があります。
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蔭ノ尾島にキリシタンたちが移住したのは1812年のことで、現在の長崎市外海町黒崎や樫山から移住した人たちだったと言われています。
幕末に近づくにつれ弾圧は厳しくなりますが、近代国家として成立したはずの明治4年に蔭ノ尾の信者3人も捕らえられ佐賀の牢屋に送られたあげく白州に引き出され、きびしく改宗を迫られていますが、3人はけっして応じなかったそうです。
蔭ノ尾教会はもとは長刀台場付近にありましたが、三菱香焼工場拡充に伴い、移転を迫られ昭和45年に現在の地(香焼町深浦)に移されています。

故郷を失った教会、という見方がそうさせるのか、この香焼(元・蔭ノ尾)教会は色あせたさびしい教会のように見えました・・・
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信者の方たちも造船所で働いて生計を立てている方が多いというので、簡単には言えませんが、「古い台場跡とかくれキリシタンたちの静かな島」が、原型をとどめないほどに開発され、もはやその地名すら残っていない、というのは悲しすぎるように思いますね・・・・

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