地元在住の方から情報を頂いていたのでなんとしても行かねば、と思っていた日鉄池野鉱に、やっと行くことができました。都合3度目です。
今回はやっと情報の遺構を見つけることができました・・・・
これ、高さは人の背丈ほどです。古い時代の坑口という可能性も無いではないですが、シンプルな造りから考えるとちょっと違うようですね。もしこの辺りが「貯炭場」であったならば、下層部の石炭を運び出す為のコンベア・トンネル跡である可能性が高いように思います。
情報に見えるコンクリートの構造物。足場が悪すぎて、近づくことは断念せざるをえませんでした。
このトンネルから「肥前池野」駅跡に向かって運炭線跡のごとき小径が続いています。やはりトンネルは石炭を運び出すためのものではなかったか、と思います。
さて、表題の「巨大竪坑やぐら」はというと・・・・・
今回はやっと情報の遺構を見つけることができました・・・・
これ、高さは人の背丈ほどです。古い時代の坑口という可能性も無いではないですが、シンプルな造りから考えるとちょっと違うようですね。もしこの辺りが「貯炭場」であったならば、下層部の石炭を運び出す為のコンベア・トンネル跡である可能性が高いように思います。
情報に見えるコンクリートの構造物。足場が悪すぎて、近づくことは断念せざるをえませんでした。
このトンネルから「肥前池野」駅跡に向かって運炭線跡のごとき小径が続いています。やはりトンネルは石炭を運び出すためのものではなかったか、と思います。
さて、表題の「巨大竪坑やぐら」はというと・・・・・
「池野東公園」と書いてある、小さな緑地の脇のけもの道みたいな小径を登っていくと、突然それは現れました。!
まず第一印象は、「なんだ、この異様な建物は!」・・・・・。画面では伝わりにくいですが、とにかく大きくて、場所が薄暗い藪の中だけに不気味でした。
大きさがわかりますでしょうか?高さ10m近くはありそうでした。
異様に見える第一は、これまでに見た遺構と違って、まったく窓らしきものがありません。
柱の間の空間は、後にレンガで埋めた可能性もありますね。
・・・・まちがいなくこれは竪坑櫓(たてこうやぐら)の台座部分でしょう!今まで変電所や巻き座・ホッパー跡はよく見てきましたが、竪坑やぐらの遺構、しかもこれほど巨大なものは初めてです。閉山から66年。よく残っていたものですね・・・!
台座の上には斜面から鉄製の足場が架かっていましたが、ご覧の通りの雑草で断念しました。まちがいなく中央には空間があると思います。
規模から言うと、軍艦島や池島は別として、最も大きなホッパーは佐世保市小佐々町の日鉄矢岳鉱のホッパー。そして最も大きな(そしておそらく唯一の)竪坑櫓は、これでしょうね・・
小さな隙間にレンズを向けてみました。中はやはり大きな空洞になっています。塞いである坑口も傷みがはげしいのか、隙間からはけっこうな風が吹いてきていました。
小さな穴が開いています。何の為の穴でしょうか?ワイヤーでも通っていたのかもしれません。
遺構の脇にはヤマの神さまである「大山祇(おおやまずみ)神社へ続く道があったのですが、ほとんど詣でる人もいないのか、道は荒れに荒れ果てていました・・・ガードレールも朽ち果てています。
足元にはこのような標柱が・・。おそらく「鉱区」を示すものでしょう。
大山祇神社の鳥居です。陽当たりも悪いせいか、全体に苔むしてじめじめしています。
せめて拝んでいこうと思っていたのですが、扉も堅く閉じられたままでした。
かつて鉱業所があり、炭住が軒を連ね、鉄道が走った炭鉱町として栄えた池野の現在です。右下の児童公園の場所に肥前池野駅があり、左端の保育所(青い屋根)のあたりに鉱業所がありました。せめて「あたたかいコミュニティーであった炭鉱町」としての何らかのモニュメントでもあるならば、それはきっと後世の子どもたちにとって大きな遺産となると思うのですが・・・・。
大きな地図で見る
日鉄 池野炭鉱
そこに炭都があった ~ 日鉄池野炭鉱 / 佐世保市
「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧
まず第一印象は、「なんだ、この異様な建物は!」・・・・・。画面では伝わりにくいですが、とにかく大きくて、場所が薄暗い藪の中だけに不気味でした。
大きさがわかりますでしょうか?高さ10m近くはありそうでした。
異様に見える第一は、これまでに見た遺構と違って、まったく窓らしきものがありません。
柱の間の空間は、後にレンガで埋めた可能性もありますね。
・・・・まちがいなくこれは竪坑櫓(たてこうやぐら)の台座部分でしょう!今まで変電所や巻き座・ホッパー跡はよく見てきましたが、竪坑やぐらの遺構、しかもこれほど巨大なものは初めてです。閉山から66年。よく残っていたものですね・・・!
台座の上には斜面から鉄製の足場が架かっていましたが、ご覧の通りの雑草で断念しました。まちがいなく中央には空間があると思います。
規模から言うと、軍艦島や池島は別として、最も大きなホッパーは佐世保市小佐々町の日鉄矢岳鉱のホッパー。そして最も大きな(そしておそらく唯一の)竪坑櫓は、これでしょうね・・
小さな隙間にレンズを向けてみました。中はやはり大きな空洞になっています。塞いである坑口も傷みがはげしいのか、隙間からはけっこうな風が吹いてきていました。
小さな穴が開いています。何の為の穴でしょうか?ワイヤーでも通っていたのかもしれません。
遺構の脇にはヤマの神さまである「大山祇(おおやまずみ)神社へ続く道があったのですが、ほとんど詣でる人もいないのか、道は荒れに荒れ果てていました・・・ガードレールも朽ち果てています。
足元にはこのような標柱が・・。おそらく「鉱区」を示すものでしょう。
大山祇神社の鳥居です。陽当たりも悪いせいか、全体に苔むしてじめじめしています。
せめて拝んでいこうと思っていたのですが、扉も堅く閉じられたままでした。
かつて鉱業所があり、炭住が軒を連ね、鉄道が走った炭鉱町として栄えた池野の現在です。右下の児童公園の場所に肥前池野駅があり、左端の保育所(青い屋根)のあたりに鉱業所がありました。せめて「あたたかいコミュニティーであった炭鉱町」としての何らかのモニュメントでもあるならば、それはきっと後世の子どもたちにとって大きな遺産となると思うのですが・・・・。
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日鉄 池野炭鉱
そこに炭都があった ~ 日鉄池野炭鉱 / 佐世保市
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