長崎県の西彼杵(にしそのぎ)半島は、近代まで「陸の孤島」と言われた場所でした。特にフランス・ヴォスロール村からやってきた「陽気で飾らない」ド・ロ神父が活躍した外海(そとめ)地方は、山深く断崖が海にせり出した地で港もなく、まさに「となりのトトロ」もしくは「もののけ姫」の出そうな?場所であったようです。

↓明治初期の外海の様子。ここが最大に開けた場所であった、と言っても過言ではないでしょう・・・
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こじつけっぽい!?ですが、その西彼杵半島、大瀬戸町多以良外(たいらそと)郷・柳口バス停には、ちゃんと「トトロ」もいますしね・・・。
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ド・ロの残した建築と言えば、出津(しっつ)教会と付近の救助院などが有名ですが、海岸部にある、それらの施設よりも下の画像の「大平(おおだいら)作業場」のような山中の建築物の方に、その魅力が溢れているように思えます。
キリシタン弾圧の「冬の時代」においてド・ロらが活躍できたのは、信者たちを守り隠した深い森があったからと言えるでしょう。キリシタン弾圧に向かった役人たちも、土地勘のない森の中では、気が気でなかったでしょうから。

草木の中に埋もれた大平作業上跡です。
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教会建築の鉄人・鉄川 与助を育て上げたド・ロの建築技術の高さを証明するがごとく、風雨に晒されながらも外壁はしっかりと残っています。
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レンガの向こうの壁は薄い石を積み重ねた「ド・ロ壁」です。
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そのド・ロ壁には、ド・ロが馬をつないだ金具がはまっていました。山の奥深くという地形を考えれば、使用されていたのは対州馬などの在来馬であることは間違いないでしょう。
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こちらは「バスチャン屋敷跡」。バスチャンというのは、外国の神父が去った後、教えを守り継ぐために潜伏した日本人の伝道師のことです。
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この場所、ご覧の通り車はおろか、バイクさえも入れない急な山道を入っていった谷間にあります。
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上を見ると、こんな感じです。これはスギの植林のようですが、当時はもっと雑木のうっそうと茂った、昼間でも薄暗い場所だったでしょう。
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こういった場所が、一帯に延々と続いています。この深い森がいにしえからド・ロの時代、そして現代まで、ずっと信者達を守ってきたのでしょうね・・・
↓見かけた民家にもド・ロ壁が使ってあります。
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そして、これは出津小学校。校舎とグラウンドの間の土台は、やはりド・ロ壁になっています。
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この地方にあるド・ロ壁を見ているうちに、「陸の孤島」が、実は「生」と「信仰」に満ち溢れた場所であったことがわかってきたように思います。
そしてその裏には、にやりと笑うド・ロ神父の顔も浮かんできました・・・・
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