以前も記事にした佐々町の報国炭鉱ですが、その後「報国炭鉱で育った」という方からメールを頂いたりし、余計に親近感も湧いたので、何度か訪れることとなりました。
画像は、西肥バス「報国」バス停横を通過する松浦鉄道の車輌。かつての運炭線でした。
報国バス停

それにしても、佐々町の景色というのは、いかにも「炭鉱町」という景観で趣があるので、とても好きな場所です。そして住んでいる方も、抜群にいい方ばかりです・・・

今もいい方ばかりですが、炭鉱時代にタイトルのごとく「北松炭田の理想郷、平和郷」と讃えられたのが、この報国炭鉱でした・・・・






前にも書きましたが、報国炭鉱・鉱主、大田長市は人情厚く、鉱員たちを大事にしたので、昭和14年の開坑から、40年の閉山(新報国鉱)までの26年間、いっさい労働争議がなかったばかりか、春の花見の時季ともなると、大田鉱主と鉱員たちが、桜の下で花見をする姿が見られた、といいます。
しかも、年表を調べてみましたが、保安に力を注いだ結果か、いっさい労働災害・事故が起きていません。
佐々報国炭鉱028

昭和20年代はと言えば、労働組織が次々と生まれ、その反動としてレッドパージなどが、行われた激動の時期です。その時期に全くの事故・事件・争議が起きていない・・・というのは、確かに「平和郷・理想郷」と言って差し支えないでしょうね・・・。
せめて、桜の木の1本でも残っていないか、と思って歩いてみましたが、それは残念ながら無駄のようでした。
地元の方は、グラウンドのような広場があった、と話していたので、画像奥に見える高台あたりに、その広場があったのではないかと思います。
報国4708

炭鉱住宅は、ほとんど残ってはいませんが、至るところに、「炭鉱町」の雰囲気は残っています・・・
報国4714

橋の欄干に残る「報国」の文字。
DSCF4706

その奥にも同じく「報国」の名を持つ橋がありました。
DSCF4710

報国鉱の坑口付近です。川沿いに坑口、運炭線があったことがわかります。
報国炭鉱070

おそらく、この先あたりに坑口があったのではないかとおもうのですが、これ以上進むのは無理でした。
手前の橋には、「昭和43年8月」とあるので、この橋は閉山後に作られたようです。
DSCF4711

報国炭鉱のかつての「選炭場」です。心なしか、女性たちの表情も柔らかであるように見えるのは、気のせいでしょうか・・・?
佐々報国選炭045

わずかに残る当時の炭鉱住宅です。
報国4716

何に使われたか判明しませんが、炭鉱時代のものでしょう・・・。入り口の構造からして、なにか詰め所みたいな場所か、購買所のような感じに見えなくもありません・・・。
報国4717

小値賀出身で好人物であった大田長市が死去したのは、報国鉱開坑後15年後の昭和29年のことでした。その死後、あとを継いだ息子忠利も「新報国炭鉱」と改称しましたが、亡き父の遺志をついで、無争議・無事故のまま閉山を迎えています・・・。

この報国鉱のことを知る人さえいなくなりつつあるようですが、せめてこの地に、長市と鉱員たちが花見したことにちなんだ桜でも植えてあるといいな・・・と思うのです。

2013年6月に記事を閲覧された方から思い出のエピソードのコメントを頂きましたので、失礼ながら記事に加えさせていただきます。このようなコメントを読まれると、「炭鉱」という今はなき故郷が、どのようなものであるかが伝わると思いましたので・・・

『 東京都におります山本ともうします。
通勤電車の中で暇潰しに、手に入れたばかりのスマホなるもので昔をなつかしんでいましたら、なんと子供のころ住んでいた報国炭鉱の記事を見つけました。関連記事の神田小学校も含めてとても懐かしく懐かしく通勤中だと言うのに涙が出てきて止まりませんでした。
当時神田小学校に通っていて今時分の季節では田んぼ中のカエルが人と会話もままならないくらい鳴いていましたが今はどうですか? 』


2016年9月にお寄せいただいたコメントも、当時を知る為の貴重な情報となると思いますので、記事に加えさせて頂きます。ありがとうございました。

『 写真についてコメント致します。写真の詰め所跡でしょうか、途のことですが、左側が診療所で右側は床屋さんでした。写真左側の電柱横の建物は魚屋さんでした。多い時でお店(雑貨店)も4件有りました。グラウンドは共同浴場の下に有り、現在は畑に成っていますよ。私も幼い時よりここで暮らし閉山するまでいましたので、写真懐かしく拝見しました。
ありがとうございます。 』



「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧

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(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月