宮本常一さんが執筆に参加しているということで、図書館から借りた「日本残酷物語①」(平凡社)は、民俗学の本で、その内容というのは、略奪・飢饉・疫病・間引き・堕胎など、実に気の滅入るものばかりでしたが、この中の1章、「圧政ヤマの女たち」と「坑内に子どもとともに」では、唯一とも言える、あたたかで美しい文章がありましたので、紹介したいと思います・・・

mine916 『・・・時間がわからんもんだから、おおかた20時間  は越えとるもんの。 昼出る時は、2時頃出て、つぎの日の夜明け頃帰りよったの。食われんもんじゃけな。いやでもひどかところへ入るとじゃ。「人は夢の中、わしゃクド(かまど)の前、ほんに3時の笛にくや」
「ままになるならあの煙突に、わしの思いをはかせたい」。けど、もう逃げていくとここはなかけんの。勝たにゃ。そげん思いよった。

 なんがうれしいちゅうてあんた、仕事がすんでからあがるとき、とおく、上んほうに坑口の灯が ぽつんと見えるとたい。のぼっていけば、家の灯が細う見えてなぁ。 子どもに逢える! 子どもに逢える!思ったなぁ。ほんとに、あんた、こげん細う、ぽつんと見上げるようなところに見えるとですばい。もう、うれしくてうれしくて。 』











mine917『・・・子どもはの、こんなふうにあたしら働きながら育てにゃいかん。 坑内にはいる時がいちばん辛かった。 あたしら朝は2時に起きるとたい。音のせんようにワラぞうりをはいて一斗ガンガンに火を焚いての。そんなクドに釜をのせて飯を炊くとよ。弁当をつめて、子どもの弁当もこしらえての、まだ暗いのに眠っとる子を起こすとばい。
目をこすりこすりぐずる子を叱りとばして、保育園へ連れて行きよった。道はまあだ暗くてねぇ。子どもは「かあちゃん、かあちゃん」と、あと追ってきて泣くしの。一日8銭で預かってくれるけど、 ーまたこの子に逢えるだろうか。帰って抱いてやれるだろうか。この子今日はこんなに泣くけど、親を亡くすんじゃなかろうか、と、そんなに思わん日はなかったねぇ。ほんとに後ろ髪をひかれる思いだった。朝坑口にいって、「今日はよかった。あと追いせんだった」 「いいねぇ。うちは入りたくない、あんまり泣きよったから」とそんな話ばかりしていたねぇ。』


昭和5,6年頃より女性の坑内労働は禁止され始めましたが、こういった家族への思いというのは、男性でも女性でも、やはり変わらなかったことでしょう・・・・
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前述の書に、この人達が含まれることすらおかしいのではないか、と思ってしまいますね。
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引用させてもらったイメージ写真は、「写真万葉録 筑豊④ カンテラ坂」(葦書房)からです。大変いい写真集です。
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