昨年の10月頃、海援隊の前身「亀山社中」のそばにあるお土産物やさんで目に止まったある絵はがきセット。
長崎を描いたもので、絵が気に入ったので購入し、その時に店の方に作者は誰か、とたずねたのですが、混雑の中でもあったので、「もう亡くなった人」だとしか、聞き取れませんでした。
カードのどこにも文字がプリントされておらず、何の情報もなかったので、勝手に「名も無き、地元の作家さん」だと、決め込んでおりました・・。

と言うのも、この夜の長崎港の空気感は、地元に住んでいる者でなければなかなか出せないものだと、直感で思ったからです・・・
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それから、この作品の切り取り方・・。興福寺の木魚なのですが、あまり知られていないこの木魚をこんな風な構図で描くというのも、長崎人ならではのものだ・・・と。
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よく描かれる、この大浦天主堂も、正面から切り取られることが多く、このように横にある「旧大司教館」や「旧羅典神学校」までちゃんと描いているのもめずらしいです。
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まだまだあります・・・・


原爆落下中心地に近い平和公園の平和祈念像。向こうに小さく見えているのは、原爆で倒壊した浦上天主堂と浦上の街です。しかし、実際、像のある場所からは、教会も町並みもまったく見ることができません。教会などは像の背後へ少し歩いて、遠くに小さく見えるだけです。
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あと、観光地にいっぱいいるタクシー。タクシーを絵の構図の中に入れるのもめずらしいと思いますが、よく考えてみれば、長崎を訪れた人にもっとも接しているのは、ガイドさんや、タクシーの運転手さんなんですよね・・。
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夜の眼鏡橋あたりの散歩、は長崎に住む人なら一度は経験したことがあるであろう、最高に気持ちよい記憶です。
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しかし実はこの手刷り木版画の作者は京都の日本画家・伊藤仁三郎(にざぶろう)さん(1905~2001)でした。
「無名の地元作家」なんて、とんでもない話でした。伊藤氏は京都市立絵画専門学校(現・京都芸術大学)卒業後、土田麦僊のもと学んだ有名な作家さんでした。
長崎を描くにあたり、これだけの作品を残したのは、やはり慧眼の持ち主であったということでしょう。
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詳しくはわかりませんが、伊藤氏ら数人のグループは、「他人の監査を受けるような展覧会には出品せぬ」と宣言し、独自路線の制作活動を行ったそうです。骨がありますね・・・。しかしそれが故に既成概念にとらわれぬ目で持って作品を作り続けられた、ということでもあるのでしょう。
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