以前、2度ほどここへは来たことがあったのですが、土地の人は皆、「牧崎(まきざき)炭鉱」と呼ぶので、???と思っていましたが、実は同じ鉱を指していることが後でわかりました。
現在、この地は、「羽須和(はすわ)免」という地名ですが、以前は「牧崎免」と呼ばれており、その時代には確かに「牧崎炭鉱」の名で操業をしていましたので、無理からぬことです。
「小浦炭鉱」の名で、永田鉱業が操業を行ったのは、昭和32年から36年と、わずか4年あまりであれば、「小浦鉱」の名が浸透しなかったのもうなずけます・・・・

資料にある、この坑口跡が、2枚目の写真の奥の盛り土のあたりにあるというのですが・・・・・?

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どうも、それらしきものは見えません・・・・?
手前は、かつての炭住アパートです。

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畑で作業をされていた方に、話を聞いていると、案内するので、ついて来い!と・・。かなり狭い民家の通路を入っていくと、家屋の裏のわずかなスペースに、例の坑口跡のブロックが残っていました。プレートのはまっていたコンクリート部分は、撤去されてしまっています。これでは、まずわかりませんね・・・。
個人宅の裏でもあるし、この坑口跡は、やがては知る人も亡くなって、わからなくなってしまう運命にある気がしました・・・・
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しかし、このあたりに炭鉱があったことは、この炭鉱アパート群でわかります。随分ときれいにリフォームされていますが。
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A、B、C・・・と付けられていたアパートの記号。これは「X棟」です。大きな炭鉱町であったことがわかりますね。
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そして、あちらこちらに残された消火栓。
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小さな公園。この下を旧坑の斜坑がはしっていたそうです。
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そしておそらく、このあたりに事務所や選炭場、市場や共同浴場があり、向こうにはボタ山が見えていたものと思われます・・・現在では想像もつかない光景が広がっていたことでしょう。
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運動会が近いのか、付近にある「口石小学校」のグラウンドでは、練習の賑やかな音が聞こえていました。
その姿だけは、今も昔も変わらない光景です・・・・。
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「佐世保・北松炭田にあった炭鉱」 記事一覧



(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は、かつてこの地で暮らされていたご家族の記憶を辿る、一助になればという思いによるものです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月