確か2009年の2月まで馬を使っていた、長崎市内最後の馬方さん、古賀さんを訪ねました。古賀さんは、「これぞ長崎人!?」・・・と思うような、とても感じのいい方でした。
古賀さんの後方、薄いブルーの建物が馬屋です。
いろいろと質問しまくり?でしたが、快く話を聞かせてもらえました。その後、対州馬や木曽馬がいた、馬屋を見せてもらいました。奥が入り口です。
入り口をくぐると、まず目に付いたのが、この大きな黒板です。対州馬たちの仕事スケジュールが書き込まれていたのでしょう・・・・
古賀さんの後方、薄いブルーの建物が馬屋です。
いろいろと質問しまくり?でしたが、快く話を聞かせてもらえました。その後、対州馬や木曽馬がいた、馬屋を見せてもらいました。奥が入り口です。
入り口をくぐると、まず目に付いたのが、この大きな黒板です。対州馬たちの仕事スケジュールが書き込まれていたのでしょう・・・・
左側に並ぶ各部屋に、最大で5~6頭の対州馬たちが入っていたそうです。右側に見えるロープ類は馬を使う時に使用したものですね。さすがは古賀さん。馬たちがいなくなっても、なにひとつ処分されていません。
お父さんの代から、馬方さんをされていたそうなので、物心ついた時から、身のまわりに馬たちがいたわけですね・・・。
通路は意外に細いのですが、小柄で頭のいい対州馬たちであれば、問題なかったのでしょう。
各部屋の下方には、明かり取りと藁をかい出すための小窓が付いています。
畳が敷き詰められている部屋。お産などに使われた部屋でしょうか?
厩舎を外から見た図です。掃除につかったスコップなどが残されています。
馬たちが使っていた、蹄鉄も、こうして残されていました。これはまだ使用前のもののようです。
こちらは使用後のものですね。丸くすり減っていました・・・
天井から下がっているのは、馬に乗る際に使う、鐙(あぶみ)です。
それから、これは馬のではなく、お子さんがつかっていた幼児用の滑り台ですね。
ここに対州馬たちと共にあった生活、子育てがあったのだ・・・ということを物語っているようです。
かつて何度も対州馬たちがかよったであろう小径。もう一度、その姿を見たいものです。いや、そうあるべきと、ここへ来て、更に強く思いました。
「この辺りの家も全て馬で建てたとばってんね。もう坂道に、家の建たんもん・・・・」と言われた、古賀さんの言葉が、いつまでも胸の途中に、引っ掛かっていました・・・。
「対州馬」 記事一覧
お父さんの代から、馬方さんをされていたそうなので、物心ついた時から、身のまわりに馬たちがいたわけですね・・・。
通路は意外に細いのですが、小柄で頭のいい対州馬たちであれば、問題なかったのでしょう。
各部屋の下方には、明かり取りと藁をかい出すための小窓が付いています。
畳が敷き詰められている部屋。お産などに使われた部屋でしょうか?
厩舎を外から見た図です。掃除につかったスコップなどが残されています。
馬たちが使っていた、蹄鉄も、こうして残されていました。これはまだ使用前のもののようです。
こちらは使用後のものですね。丸くすり減っていました・・・
天井から下がっているのは、馬に乗る際に使う、鐙(あぶみ)です。
それから、これは馬のではなく、お子さんがつかっていた幼児用の滑り台ですね。
ここに対州馬たちと共にあった生活、子育てがあったのだ・・・ということを物語っているようです。
かつて何度も対州馬たちがかよったであろう小径。もう一度、その姿を見たいものです。いや、そうあるべきと、ここへ来て、更に強く思いました。
「この辺りの家も全て馬で建てたとばってんね。もう坂道に、家の建たんもん・・・・」と言われた、古賀さんの言葉が、いつまでも胸の途中に、引っ掛かっていました・・・。
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