崎戸町には「炭鉱跡記念公園」と歴史民俗資料館があるので、そこへよって情報収集をしてから、巡ることにしました。

炭鉱跡公園近く、草の生い茂る中に商店跡の看板だけが、ぽつんと残されていました。「酒」「塩」「たばこ」・・・いずれもヤマの男たちと家族には欠かせないものですね。
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崎戸町における炭鉱の歴史は大変古いのですが、大規模な操業となったのは、昭和15年に九州炭鉱汽船株式会社が三菱鉱業株式会社に合併し、「三菱鉱業株式会社崎戸鉱業所」としてスタートしてからでした。

炭鉱跡公園の土手には、古い坑口が残っています。かなり古いものらしく、崎戸出身である資料館長さんも、はっきりと年代、用途がわからないとのことでした。(昭和43年閉山です)
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また、この坑口跡の近くには、子どもたちが描いたであろう、鉱業所、人車、竪坑やぐらなどの絵がありました。こういうものが、心に響きますね・・・・
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館長さんは、4月に就任したばかりで、モチベーションが高かったのか、(他に誰もいないし・・)延々と説明や当時の思い出などを語ってくれました。

下は蠣浦坑の坑口に取り付けてあったプレートです。
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この坑口ですね。かつて日本一の出炭量を誇った時期もあった坑口です。
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鉱員さん達を運ぶ人車の様子。鉱員さんに笑顔があることから、仕事帰りの昇坑であることがわかります。
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25,000t 突破の記録を記念した手ぬぐい。モノクロでなく、完全に色が抜けてしまっています。数字的に言ってそう大きなものではないので、週間記録とか、そういったものでしょうか。
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写真の中に残る竪坑やぐら。形状のタイプからして、古さがわかるような気がします。
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資料館の近所にかろうじて残っている遺構です。長崎県教育委員会の資料では、用途不明の建物となっていますが、屋根近くにワイヤーを通すための丸い穴が残っているところを見ると、上の竪坑のケージを吊っていた巻座跡でしょうね。
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資料館の山側には、鉱業所時代の大きな煙突と、人道坑跡(コンクリート)が残されていますが、この場所、立ち入り禁止であり、これ以上近づくことが出来ません。遠くに見えているアパート群もかつての炭坑時代のものですが、ここも住人以外は立ち入ることが規制されています。
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いやはや、この島はどこへいっても厳重なまでの「立ち入り禁止」だらけで、どうしようもありません。
・・・というのも、以前この島の廃墟で、バトル・・・なんとかっていう映画が撮影されたらしく、その後一部のオタクの間で、この地が有名になり、次々と無法者が入り込んではサバイバルゲームや無茶なことをしたそうです。挙げ句のの果てに、火事を出したりして地元や会社の人にとんでもない迷惑をかけたらしく、そのせいで今の状況があるのだ、と館長さんがおしえてくれました。 軍艦島と同じですね。
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かつての積み出し港と鉱業所の様子。港一帯もまったく近づくことが出来ません。つまり現在の様子を撮ることができないということです。
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今回は、資料を紹介して、一区切りとしたいと思います。
これはご婦人たちの職場(坑内)見学会の記念写真でしょう。もちろん坑内と言っても、本坑の降りてすぐぐらいの、危険ではない場所までです。それでも、奥さんたちには、感じるところが大きいものだったでしょう。
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社宅アパート前の子ども。
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中学校の記念写真でしょう。「6組」とありますが、ざっと数えても50名くらい写っています。館長さんによると、1学年13クラスはあり、当時長崎県下最大であったそうです。
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その地にいるのに、館内の写真でしか、当時を辿れない・・・という場所もめずらしいです。残念ですが・・



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