ヒトに限らず、「土地」とは、生きていく上で必要不可欠なものですが、それ故「土地」は歴史的に「争い」や「(言われなき)差別」を産み出してきた・・ということも否定できないようですね。

「陸上に土地や家屋を所有せず、船内に寝泊まりしながら各地(領地)内を移動しながら漁労を行った」という家船(えぶね)衆が、ここ西海市大瀬戸町や平戸に存在したというのは、とても興味を惹かれます・・・・
(画像は、大瀬戸町歴史民俗資料館にある家船の模型)
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同館に展示してある写真です。これは櫨船ではなく、機帆船のようですね。港近くを歩き、土地の人にたずねたところ、家船衆は昭和30年頃までよく見られたということです。
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現在では、ヨットの中で寝泊まりしながら世界中を旅する人々はめずらしくありませんね。2年前、長崎港に停泊していたニュージーランド人は、ヨットに住んでいて、市内で仕事をしている・・と言っていました。


さて、その家船。なるべく人を土地に縛り付けようとした江戸時代をくぐり抜けて、近代まで成立したということで、宮本常一さんら民俗学者も大いに興味を持ったようです。
下は家船に関する由来書(写し)で、ここ大瀬戸では、大村藩内で「お墨付き」を得ていたようです。
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なかなか九州弁っぽい名称が付いているようです。
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小学館刊 「山民と海人 ~ 非平地民の生活と伝承」によると、
『・・・・家船の主婦は誰でも、停まりおき(停泊先)の周辺の農村にはなじみの得意先を何件か持っており、この関係を絶やさないように親の代から嫁の代に継がせ、お互いの縄張りを尊重し合った。・・・(中略)・・・陸上交通や海産物の流通が未発達な地方に該当しており、農家の人々にとっても家船との交易は海産物を入手できる数少ない機会となっていたのである。このため少し余裕のある農家では、家船の主婦となじみになろうとして、家船の人々に何かと便宜を図ろうとするのがふつうであった。風呂や井戸を提供したり、衣類を預かったりして家族ぐるみの付き合いをするようになると、家船の側では、こうしたなじみの農家を「イトコ」と呼んで大切にしたという・・・・』
要は、この家船、歴史的に合理的に受け入れられてきたということですね。
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実際に家船衆が使用した道具類。主にアワビやサザエをとる道具であるようです。
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漁労許可札・・・とでもいうものでしょうか。期限は昭和27年、場所は式見村とあります。
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模型内部。生活用具収納場所ですね。脇に鍋や鉄瓶が見えます。
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船の舳先あたりの内部。居住空間となっているようで、水瓶や火鉢などが見えます。
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後部のかまどです。
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せめて、家船の残骸でも残っていないか・・・と付近の港周辺を歩きましたが、無駄なことでした。
話では、家船衆の方は、陸上に定住し、今も漁業に従事する方もおられるそうです。

詳細には迫れませんでしたが、現代経済社会成立前、人と人とが、信頼・信用により結ばれた交易(経済活動)を行っていた・・・という事実は、大いに尊ばれるべきことと思うのです・・・。

この世に意識を持って棲むのは、せいぜい70年やそこら。 肩肘はって、幾ばくかの土地にしがみついて生きるよりも、板子一枚海の上に、家族肩を寄せ合いながら生きることを選んだ家船の衆に、なんとも清々しいものを感じるのは、私だけではないでしょう・・・・ 
(画像は、平戸・幸ノ浦に停泊する家船衆)
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