長崎市橋口町にある、ベアトス様の墓。カトリックであった日本人親子が殉教をした場所です。
「ベアトス」とは、ポルトガル語で、「敬虔な生涯と尊い死によって永遠の幸福を受けていると信じられている人々」のことを言うそうです。(詳しくは、2枚目画像の説明文を)
また、ここは原爆落下中心から、わずか700mしか離れていない場所であり、画像をみておわかりと思いますが、碑の左側(爆心地側)が熱線により焼け、色が変わっています。

ところで、この碑のすぐ後ろに見える建物は、産院であり、私はここで生まれました・・・・
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さだまさし氏は、「長崎市政100周年記念誌」の中で、『・・・ヒトが生まれるとき、初めて吸い込んだ空気のうち、ほんの一部は、ずっと肺胞の中に生涯蓄積されている・・・』 と書いています。
と言うことは、私の肺胞には、ここらの空気がずっと入っていることになります・・・・・





このベアトス様の墓、カトリック史跡としての案内板のすぐ横に、被爆構造物としての案内板も立っています。
原爆が炸裂した瞬間、爆心地直下で風速400mという猛烈な爆風が吹き、500m以内では、コンクリートの建物でさえ全壊したのですが、700mという至近距離にあって、この碑は、わずかにずれただけで、倒されることなく、立ち続けました。
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その時の被害がいかに、ひどかったか・・と言うと、この産院の後ろに見えているのが、山里小学校ですが・・・
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これが被爆時の山里小学校の状態です。校舎はかろうじて残っていますが、内部は壊滅的な被害を受けています。
周りにあった木造家屋などは、形をとどめないほどに、倒壊しているのがわかります。
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産院の前には、浦上川がながれています。被爆時、熱線で焼かれた人が水を求めて川に向かったと言います。そしてこの川面は、見る間に死体で埋め尽くされたと。
向こうに見えるのが、野球場。奥に稲佐山が見えています。
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そこから復興をとげた現在の街。もちろん、ヒトの住む街ですから、近くの橋には、こんな光景が。
長崎は、とても狭いので、ゴミを運ぶ為の箱を川べりに吊して保管しています。清掃員さんは、この箱を引いて、坂の街をずっと登っていくのです。
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そして今日もまた、私の後輩?くんたち・・・・新たな命が、誕生しようとしているようです。
(産院の駐車場から病院へ向かうお母さんたち)
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私は長崎人の前に、浦上人?なんだなぁ・・・ということを、年々感じるような気がします。
やはり最初の空気がちゃんと、肺胞の中に残っているということなのでしょうか・・・。


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*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は戦争の悲惨さと平和の尊さを若者や子どもたちに伝えるです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月