天気の良い日、大正15年に完成した小ヶ倉(こがくら)ダムへ向かうことに・・・

コンビニから出ると、目の前を歓迎遠足の一団がぞろぞろと・・。おそらく小ヶ倉小か、南長崎小の子どもたちでしょう。
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小ヶ倉ダムへは、このコンビニから測道へ入ります。
彼らも、その道へ入っていきます・・・・ん?
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どうやら同じ目的地を目指しているようです・・・。
6年生、ちゃんと1年生を歩道側にして歩いてますね。
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やがて、小ヶ倉ダムのある、小ヶ倉水園入り口へ。緑が多く、脇には清流のある、気持ちいい場所です。
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やがてダムが顔を見せ始めます・・
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これが、「戦前の長崎県の土木構造物において、最も景観的に優れた構造物」と言われた、小ヶ倉ダムです。
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小ヶ倉ダム: 粗石コンクリート造重力式ダム
東京帝国大学教授 中島鋭治の意見により建設が決定。
大正9年着工。6年半にわたる工事のすえ完成しています。
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彼らは、緑地でお弁当を広げていました。
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そして、この水と緑豊かな、小ヶ倉水源地の近くは、ゼノ修道士らの聖母の騎士修道会が、戦後間もない頃、全国の戦災孤児たちをひきとって育てていたバラック(旧三菱造船所工員寮)があった場所でもあります。
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(昭和22年頃、聖母の騎士園の子どもたち)

水園そばの更地。おそらくこのあたりに、施設(工員寮)があったのでしょう・・・。
当時をしのばせるものは、何も残っていませんが、この日は、やはり遠足の子どもたちがお弁当を広げる姿が見られました。何とものどか、と言うか平和な光景です・・・
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施設の子どもたち、全員集合の写真ですね。女の子たちは、南山手のマリア園に収容されました。
手を挙げる子どもたちの笑顔は、何よりのものです。
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施設は残念ながら昭和24年に火災で焼失しています。
しかし、緑と水あふれ、陽当たりのいい、この場所ならば、当時の子どもたちはシアワセな時間を過ごしたに違いない、と確信しました。
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平成27年に、この施設におられたという、アメリカ在住の修道士さまからお便りを頂きました。
(かなりご高齢の為、東京在住の関係者の方から、お電話での内容をメールで送って頂いています。以下はそのメールの一部です)

(2枚上のセピア色の写真について)
『 米国から「少年の街」のフラナガン神父が孤児院を訪問した時の写真真ん中の外人は、フラナガン神父。
フラナガン神父は、アメリカのカトリック司祭で、スペンサートレイシーの主演で映画化され、当時、日本でも大評判だったそうです。
この後、しばらくして、後ろの建物は、収容されていた子供の放火により全焼してしまった。
犯人の子供他、数名が亡くなった。
建物は、旧三菱の工員宿舎で、戦後、孤児院になった時は、窓ガラスはおろか、床板すら燃料としてはがされていたあばら家だった。
火災時には、僕も子供に起こされなかったら、焼け死んでいた(当時24歳だったそうです)。 』




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