NHK大河ドラマ「龍馬伝」では、三菱関係者に「なりがあまりにも汚い」と不評だったという岩崎弥太郎。
その評価については、さておき、一代で三井・住友という伝統ある財閥に肩を並べる三菱を創設したという偉業を達成した弥太郎は、やはりすごいですよね。
その三菱の始まりとなった長崎造船所には、戦後間もない頃、弥太郎の不屈の精神をうかがわせるエピソードが残されています。
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戦時中、軍需工場となっていた三菱の各工場は連合国爆撃機の攻撃目標となり、たびたび空襲に見舞われました。(写真は、空襲により被災した鋳造工場及び機械工場。奥に見えているのが、投下目標とされた150tハンマーヘッド型クレーンです)
市内中心部にあった兵器工場などは原爆により、壊滅的な打撃を受けました。
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終戦後、操業が停止された三菱長崎造船所は、2万8千人に及ぶ人員整理が行われ、残った従業員もしばらくは占領軍の使役や復旧作業にあたりました。
そして、軍需産業からの転換を迫られた同所が、まず行ったのは、お鍋や釜などの台所用品や、スキ、クワなどの農機具生産でした。
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さらには、鉄は豊富にあるということで、包丁・フォーク・芋切り器・トランク・筆箱なども見よう見真似で作り、社員がこれをリヤカーに積んで売りに行ったといいます。まるで、「龍馬伝」の中の弥太郎の姿、そのものですね。
かつて、巨大戦艦「武蔵」を造った造船マンたちは、どのような思いで、リヤカーを引いて歩いたのでしょうか・・・
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しかし、この三菱製の鍋や釜、やたら頑丈なだけで、火が通りにくく、また鋤や鍬、鎌なども、微妙に角度が違って使いにくいし、重い・・ということで、まったく売れなかったそうです。
朝、リヤカーに積んで出発した営業課員は、1個も売れず、夕方へとへとになって戻ってきたそうです。
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しかし。その後はSLの修理をしたり・・・
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小型漁船を建造したり・・・と本来の業務に、また一歩ずつ突き進んでいきました。
(画像は、武蔵などを建造した船台で漁船を横一列に並べて建造している図です。)
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漁船の進水式は、あまりの小ささに、ドックなどは使わず、150tクレーンで、ひょいと吊り下げて行いました。
しかし、造船マンたちは、こういった状況に対して、「また船を造ることができる」よろこびに溢れていた・・・といいます。
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原爆で壊滅的な打撃を受けた、三菱造船所幸町工場でも、トタン板で工場を補修し、かろうじて残ったクレーンなどで、車輌補修や整備などの作業を始めるなど、一歩ずつ復興の道を、長崎の街とともに歩んでいきます・・・・
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リヤカーで鍋や釜を運ぶ姿を見ていたからこそ、その後復興をとげた造船マンたちを、市民は「三菱さん」と、親しみを込めて呼んだのでしょう。

そこには、あの「鳥籠を背負った弥太郎」の姿が重なるとともに、弥太郎の不撓不屈の精神が生きていたように思えてなりません。
そういった意味では、あの「龍馬伝」での弥太郎は、正解だったのかもしれませんね・・・
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