長崎市立城山小学校につづく、「永井坂(ながいざか)」・・・オランダ坂やどんどん坂、祈念坂などに比べると、市民の間にもほとんど知られていないと思います。
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その名の通り、故・永井 隆博士の名にちなんで、この名があります。
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城山小の子どもたちが、記しているように、永井博士が、病床において執筆した著書「この子を残して」の印税で桜の苗木が購入され、道沿いに植えられました。



永井博士の子どもが、通っていた山里小学校にも、多くの寄付をしていますが、爆心地から最も近かった、この城山小学校に対する心遣いも忘れなかったわけですね・・・
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当時、余命幾ばくもないと知っていた博士。両親を失うことになる誠一さんと茅乃さんの為に、1円でも多くお金を残したい・・と思うのが、当たり前なんですが、それをしなかったんですね。
この桜の輝きは、ことさら美しく輝いて見えます。

坂の途中にある防空壕。残念ながら、この壕は、爆心地に向いていたので、被害を避ける役割は果たさなかったようです。
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坂を登りきると、市内唯一の被爆建築と言っても過言ではない、城山小被爆校舎が見えてきます。
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新興善、浪の平など、貴重な被爆校舎が失われる中で、この校舎だけが残り、「反戦・平和」を訴え続けています。
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被爆後の城山小学校・校舎。中央の階段棟の部分だけが、保存されています。外壁は、爆発時3,000℃以上と言われた熱線で焼けこげていますが、まだ迷彩の跡が残っています。
丘まで続く白い道が、永井坂です。
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放射能の影響で、戦後70年間は、草木の一本も生えないと言われましたが、今こうして暖かな春陽の中、満開の桜が花のトンネルをつくっています。
この光景こそ、病床の永井博士が、想い描いたものでしょう・・・・
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校庭にある「嘉代子桜(かよこざくら)」。
被爆当時、校舎にいて亡くなられた林嘉代子さんのお母さんである林津恵さんが、娘が好きだった桜の木を学校に寄贈され、それが大きくなったものです。
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運動場に遊ぶ子どもの姿。ずっとこの子らに、戦禍や災害が降りかかって来ぬよう、願うばかりです・・・・
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*(説明のためにやむなく資料を引用させて頂いております。目的は戦争の悲惨さと平和の尊さを若者や子どもたちに伝えるです。ご了承のほどお願い致します。今後は現代の世相を鑑みて、ブログとしてのコンプライアンスをより重視してのぞみたいと考えております。2016年7月